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祖父野崎玉之助、母の父の血流は伊達政宗の娘いろは姫から伝わるものがある。 [Familie Gedichte]

祖父野崎玉之助、母の父の血流は伊達政宗の娘いろは姫から伝わるものがる。伊達政宗弟小次郎の不和の噂からお家取り潰しの危機に際し徳川の重臣杉浦がむさし野市横沢にある真言宗豊山派大悲願寺に小次郎を預ける助言をした。小次郎は第15代住職法印英雄になった其の後伊達政宗の娘いろは姫が伴天連の子を懐妊、彼女は小次郎の元へ。 小次郎といろは姫とその息子伊達幽清は三鷹市役所辺りに居を構えた武蔵七党野崎氏の世話になり。いつしか野崎にいろは姫の血流が混じり込んだ次第。 伊達小次郎は三鷹に近い阿佐ヶ谷の真言宗豊山派の宝仙寺の住職になり、いろは姫の隠し子伊達幽清も僧侶となり、仙台瑞巌寺の前向いにある天麟院の住職を務めた。母親いろは姫の墓所も此処にある。 8400石取り徳川慶喜の筆頭旗元の父親は母の祖母杉浦スミの嫁入れの為にむさし野市伊奈中平、むさし野の西のドン詰まりの土地に三鷹市役所辺りに居を構えていた武蔵七党の野崎卯八を住まわせ、横沢の大悲願寺の裏山の沢を水源とする水路と広大な田んぼを新設、町奉行に旗元永井と間者在原を配して警備させる用意周到ぶりでした。1644年の古文書が残る大福に長女スミを嫁がせ。大福からは長男長蔵の嫁を娶った。母の父次男野崎玉之助は村一番の美女在原の娘カヤを嫁に迎えた。山内大尽の山林を独占伐採し自前の工場で製材した青梅杉柱材を京浜地方に出荷した。私の母は子供の頃アカ毛。私の矩形の鼻孔はいろは姫の隠し子幽秀譲りと思われる。




 



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