SSブログ

天安門32年、香港で初めて集会開かれず 市民はライトで追悼 [中国]


私が50最になった年の2月、私は天安門近くの暖房が止まった北京飯店のべっトの中で革製の

コートに包まって寒さに震えながら一夜を過ごし、前日の夕食は食べるものが無い酷い状態で

した、周口店にある中国石油交司への出張は私一人のみ入国許可される異常事態でした。

4ヶ月後の6月に天安門事件の予兆でした。日中国交回復前の1972年4月、柳の花粉がホテル

室内を漂うころから90日間の滞在、中国は富士電機の蒸気タービン技術習得を重要課題の一

つに挙げていたのだと思えた。日本からの封書は開封の跡を残さず中身を読まれていたm恐

ろしい国でした。2度目の訪中は上海賓館泊の富士電機義日交流団員として、日本が建てた

旧上海高楼が会場でした。


nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

nice! 1

コメント 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。