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日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約 - Wikipedia [日中友好]


私が戦後3人目となるSiemens TuW への企業留学から帰国した1971年夏、翌年5月には

日中国交回復前の北京へ東光物産の元残留孤児の方と荏原製作所勤務の早稲田機械工学科の

先輩と3人で。90日間の長期滞在となった。ホテルは天安門近くの民族飯店でした。朝食は

日替わりで洋食と中華を選びました。中華にはヨーグルトが付きました。


中国は当時鐵生産増強の為のブロアーと駆動用蒸気タービン技術習得が緊急課題であったこ

とが推測されました。

北京動物園近くの中国輸出入公司が技術交流会場。シュンマオ(パンダ)を初めて観た。

八達嶺、天壇、西太后の夏の離宮、と天安門のある紫禁城を訪ねた。外国人専用の店で清代

の金持ちの邸宅から革命で没集されたと思われる高価な硯を買い求めた。その他に後に我家

の実印にしたヒスイの印鑑を有名老舗印鑑買い求めた。母の実印が甲府産の水晶製であるこ

とを真似たのです。

2度目の中国訪問は1972年9月の日中国交回復直前、富士電機技術交流団に最年少の私が選

ばれた。この時は上海外灘にある和平飯店でした。会議場は渡月橋を渡った先にある日本が

建設した上海大嘉でした。土産に天津緞通を郵送しましたが、随分と高いものに付きました。

後日、東電本店の部長さんの紹介で東京大学大学院でDr.になったR女史とのコネが出来て

天津大,精華大、同済大の教授連との交流が始まる。K社長の計らいで私の交際費は無制限

となり、思いがけず黄山周游の機会に恵まれた。上海和平飯店の中華、伊勢海老料理は好チ

です。そうそう通訳を連れずに遊覧した上海郊外蘇州は日本人が珍しかった時代であったの

皆さんとても親切でした。








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