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我家のある地形 [フリューレン村だより]

私は東京田端に生まれ育ったが結婚後1年間立川にある新築の大きなアパート住まい後に勤務先の川崎へ京急線で通える金沢文庫に西武が造成した西柴団地内の一戸建ての家を購入した。この時はご先祖三浦大介義明の三浦一族ゆかりの三浦半島であることは意識していませんでした。

母の強い要望で30年程前に家を新築した。是が終の住まいになる現在住む家です。材木屋の次男に生まれた私が基本計画したが、湘南の太陽と氷取沢の冷風を取り込み2階は山小屋風にすること、1階のトイレは石神井の三方池近くの林にある早稲田大学時代の恩師宅同様に玄関を入り直ぐ右手にしました。母の部屋を作りましたが老齢で一度も来られませんでしたが代わって義母に使用していただきました。
材木は兄の足立営業所から購入することを条件に12人いる客先の棟梁方の中から母の了解を得てYさんに依頼した。

西柴団地は国道16号線から片吹きの交差点を海の公園方向へ桜並木を登る連絡道路沿いに広がります。戸数550戸、西柴小、文庫幼稚園と桜並木商店街があります。元々北条実時の金沢文庫(稱名寺)を囲む金沢(カネサワ)三山の一部を造成した土地です。最高峰の金沢山73 ㍍、西柴小校庭の海側は文庫幼稚園背後の83 ㍍から階段上部冬季には白雪の霊峰富士が望める80 ㍍地点まで続いています。これは標高40㍍の自宅の居間から良く見えます。これは1年間暮らしたドイツNieder Raine WestfahrenのHanza Stadt Wesel では考えられない心に安らぎを覚える風景です。なお我家2階の山小屋風の部屋からむき出しの階段を登った先の3階屋根裏部屋に外国からの客人を案内したものです。自宅が完成してから気ずいたのですが霊峰富士がみえるのです。







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夏炉冬扇

富士山が見えるこだわりのおうち。
ゆったりですね。
by 夏炉冬扇 (2020-09-09 13:03) 

ぼくあずさ

夏炉冬扇さん
富士山が見えるのは意図したものではありませんでした。
西柴小校庭の海側の崖の先は1313年の東京湾大津波時に逃げ延びた漁民の子孫たちの小柴漁港です。娘二人の西柴小時代のクラスメイトの母親との交流が続いています。
裏山はシーサイドファームが作られ、半農半漁の地元民のミカン園と市民農場があります。

by ぼくあずさ (2020-09-09 15:09) 

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