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ラバウル小唄 [戦争の記憶]

                       byぼくあずさ
北支開封からソンソル島に転戦した実家の番頭さん、漁労長を務め栄養失調にならずに
敗戦後福音。兵員を上陸させた直後、乗船した軍艦は敵の攻撃で沈没。

1943年11月5日、ラバウルにおいてアメリカ空母サラトガ、プリンストンによる空襲にあい、機銃掃射により負傷者2名を出した[6]。続いて11月11日の空襲でも機銃掃射により負傷者3名を出し、さらに11月14日にも空襲で負傷者が出た[7]。11月、ニューブリテン島北方のガロペ島への輸送任務に従事。その3回目の際の11月24日夜、空襲を受けて至近弾により損傷[8]。損傷した駆逐艦長波を曳航してラバウルからトラックへ向かった後日本本土に戻り[9]、翌年1月から3月にかけて修理を実施する。

1944年3月2日内南洋諸島への緊急輸送(松輸送)が発令された。3月22日、東松船団旗艦としてサイパンにむけ護衛艦6隻、輸送船6隻とともに向かい30日にサイパン到着。4月20日パラオよりソンソル島への陸軍兵員350名と軍需品50トンを搭載し、4月23日「夕月」とともにサイパンを出港して27日早朝にパラオ到着。

1944年4月26日18時15分パラオを出港し27日ソンソル島に到着。揚陸作業を開始し、9時42分作業を終了して再び夕月とともに、パラオに向けて出港。ところが、19ノットで之の字運動で航行中、10時1分ソンソル島南端の95度35海里のところで12キロ先より米軍のガトー級潜水艦ブルーギル」(USS Bluegill, SS-242) に発見され、魚雷攻撃を受ける。6本のうち1本を右舷第1窯室に受け1,2窯室および付近に浸水区画満水となり航行不能に陥った。ただちに排水作業にはいるとともに「五月雨」に曳航を命じるが、夕張の排水量が大きくうまく曳航できずにいた。翌28日浸水区画がひろがり沈没しだしたため、生存者全員を夕月に移乗させ、さらに曳航作業を続けたが、午前10時15分、北緯5度38分、東経131度45分の地点で艦首より沈没。戦死19名をだした。

ラバウル小唄
ソンソル島 軽巡洋艦夕張

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