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杉山神社 [フリューレン村だより]

                       byぼくあずさ
杉山神社
由緒と沿革
 古来火防の神として霊験あらたかな此の神社は、創立年代は不詳でありますが、日本武尊の東国宣撫の偉大な御功績のお陰で、此の地方の人々は皆平和な生活が出来る様になったので此処に奉祀したものと思われます。昔から土地の人々は杉山大明神とあがめて感謝の奉仕を続けて来ました。
 永和二年六月 (西暦一三七六年) に、益田大江助が社殿を再建した棟札が保存されていましたが、昭和二十年五月の大空襲の際焼失してしまったのは誠に残念です。寛永年代に大光寺中興するにより当神社の別当寺となりましたが、明治維新の際太政官布告により別当寺の制度が廃止となりました。
 明治二年、社号を杉山神社と改め、又官制により社職祠官が置かれることになりました。
 明治六年に村社に列格。
 大正十二年、境内隣接の宅地及び山林計二百坪を大光寺より買収し境内の拡張を計り、社殿及工作物の改築造営工事を計画中、関東大震災の為此の計画は中絶されました。
 昭和十二年、氏子の総意により再び造営を計画し監督官庁に申請中、支那事変が勃発し、重大国難の特期により不許可となり、再び御造営の計画は中止となりました。
 続いて大東亜戦争となり戦火拡大の結果、戦禍は遂に本土に迫り昭和二十年五月二十九日、米軍機の横浜大空襲の際、文化七年造営の社殿を始め社務所は元より境内の樹木まで焼失された事は誠に畏れ多い極です。戦火中と雖も神社の祭祀はゆるがせに出来ぬ為假の施設を急造し奉祀を続行して居たが程なく太平の途開け、氏神の復興造営を願う声が次第に高まり氏子の総力を以て御造営に邁進することになりました。
 昭和三十一年に、先ず境内整地工事完工。昭和三十二年八月、社殿の御造営竣工。昭和三十三年十二月、神楽殿及び社務所の竣工此処に於いて神社の戦災復興が完成しました。
 尚、昭和五十一年十月、天皇御在位五十年奉祝を記念して氏子有志により参道に花崗岩の玉垣が建設されました。
 以上

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