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Familie Gedichte 野嵜 [フリューレン村だより]

                      by ぼくあずさ

私の自慢の母は鎌倉武士の名門杉浦家の娘の孫であることを誇りにした生涯でした。
私の曾祖母杉浦スミさんは嘉永元年(1849年)母親不詳(松平姓と思われる。)上野
不忍の池畔に生まれ、徳川慶喜幕府崩壊の煽りで避難行、横浜市戸塚に現存する杉浦陣屋
に仮住まい後、私の大本家の野嵜卯八に嫁ぎ、長男長蔵、次男私の祖父玉之助と大福家に
嫁いだ長女ブンさんを儲けた。大福の娘アカさんは当時珍しいお歯黒でした。長蔵の
嫁さん。私の祖母在原カヤさんと仲良し、縁故疎開中本家で度々会いました。
私の野崎の従弟妹達は全員と暁の超特急吉岡と同じトラックを走った正治叔父はスミさん
に似て走りが速い。玉之助、母キン、正治叔父と私はスミさん似で華奢で小柄です。
大本家の長男長蔵系は皆さん体格がよい。
なお長蔵は8歳になったばかりの長男に家督を譲り隠居。これもスミさんを守る為に
派遣されていた村奉行永井の指し金。二サさんが食料調達を身の回りの世話は平井村生
まれの若い娘が担当。

和田合戦(1213年)と明治維新(1873年)がなければ私は生まれませんでした。
私と叔父の名前(しょうじ)は杉浦姓の侍の名から命名された。

鎌倉武士のご先祖和田氏は和田合戦に敗れ近江に逃れ名前を杉本⇒和田⇒杉浦と変えて
生延び、蟹江城攻防では七本槍として武勲を挙げ徳川家康の父の代より重く引き立て
られ幕末には勘定奉行、江戸北町奉行、函館奉行を歴任、徳川慶宗の老中老女、一色
須賀、奥女中頭一色杉浦を擁していた。杉浦スミは奥女中であったと思われる。
明治維新後は大隈重信候に抜擢された杉浦 は日本に郵便制度確立するなどの活躍の
他に帝国陸海軍に中将を輩出している。
杉浦,氏,和田,義盛,裔,称し,徳川,家,譜代,臣,多く,旗本,輩 ….jpg        







杉浦の家紋 組角桔梗

岡部氏家紋.jpg






和田落人7軒、本家の叔母の生家岡部の家紋、織田木勾桔梗。
織田信長の家紋でもある。


マルに桔梗 我家の家紋.gif





我家の家紋、桔梗、明智光秀も使用。

私の華奢な体形と「ぼくは僕だ。」と主張した幼児期の私の言動も
曾祖母スミさん譲りかと思われる。

なお父方のFamilie Gedichte 西嶋について調査中です。

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