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Familie Gedichte [フリューレン村だより]

                by ぼくあずさ

曾祖母杉浦スミさん一族は鎌倉での和田合戦に敗れ近江に逃げ
関東で抗争が続いた足利時代を避ける幸運に恵まれた。

蟹江城攻略で七本槍として復活、和田から杉浦と姓を変えて
徳川幕府に引き立てられ幕末には北町奉行、勘定奉行、函館
奉行として大いに活躍した。

明治維新後は帝国海軍陸軍の軍人として多数の者が軍功を
立てた。

徳川慶宗の大奥の奥女中の杉浦スミさんと嫁いだ伊奈村の野嵜
卯八について記述する。


(1)二男一女を生む。
        長男長蔵誕生(1875)
        大福アカと婚姻(1897)
   徳川所縁の湯島の順天堂医院で死去(1917)
        私の祖父次男玉之助誕生(1878)
        村一番の美女在原カヤと婚姻(1901)
   長女ブン誕生(1881)
        大福貫太郎と婚姻(1903)
(2)野嵜卯八
   杉浦スミと婚姻(1872)
        家督を長蔵に譲り隠居(1883):卯八排除。
(3)大本家野嵜
        秋川が谷を流れる阿伎留野の西のドン詰まりに位置する
   伊奈村中平にある大本家について考察する。

   上山の野崎と云われる大本家野嵜は横沢の水源と山田
   の大福の脇へ続く水路を独占、伊奈の大地に広大な水田
    を所有する。南は秋川から北は横沢まで続く帯状に土地
    を独占、其処に釜屋大福と村役場の野崎を含む。
    平安時代後期に信州伊那郷から伊奈に移住した石工が
   ルーツではない。
   其れより古い時代に稲作技術をもっ家族が住み着いたと
   思われる。
        天津大の張教授の持論によれば黄河上流から筏で下り男子
        のみ更に天津から日本へ渡り稲作を伝えた。

   文献によれば、江戸時代に五日市は木炭で伊奈市は
   絹織物「黒八丈(五日市)」の取引で栄えた。

   野嵜卯八は黒八丈の集貨を野崎は仲買人との記録が
        ある。

   徳川旗本のお姫様である杉浦スミさんが明治維新の混乱
   の中で野嵜卯八と婚姻、二男一女を授かり94歳の天寿を
   全うしたことで曾孫の私が生まれたのです。

   杉浦スミさんの体形、性格は祖父野崎玉之助と母野崎
        キンを通じて私に受け継がれている。
   新宿の叔父と私は杉浦の武将の名前「しょうじ」を
        受け継いだ。

   母は娘時代に南風で画壇で脚光を浴びた和田三造の
   婦人画のモデルになったが、杉浦スミさんの手配と

   思われる。
        杉浦スミさんから「今に人に羽根が生えるよ」と教えら
         た母は着物を着ての外国旅行を好んだ。
   母の欧州旅行に9日間同行したこと、Dorf Flueren の
         独語会話の先生Margareta宅訪問は愉しい想い出。
   
前編/江戸のおなごたちには敵わねぇ~遊女 大奥まで
https://blog.goo.ne.jp/gumrie/e/5fdbf8944127e6b8c2dacb65a1da4e09 


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