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Familie Gedichte [フリューレン村だより]

                by ぼくあずさ
我家のFamilie Gedichte 調べも佳境です。
94歳で亡くなった嘉永元年生まれの曾祖母杉浦スミは上野戦争
勃発で池之端にある生家から横浜戸塚に現存する杉浦陣屋へ
避難。私の母方の大本家の野嵜卯八に嫁ぐまでの4年間を過ご
した。彼女は母親の姓名、徳川慶喜の奥女中の身分と避難処を
心を許した孫の私の母へも終生明かすことはなかった。

勘定奉行、江戸町奉行を務めた8400石の筆頭旗本、大奥老女
一色須賀と一色杉浦を擁する杉浦一族により伊奈村に派遣された
永井甚右衛門が杉浦スミを警護する村奉行の役目を担った。

私の母が娘時代にスミの甥陸軍少将杉浦が部下を一人連れて
会いに来た。彼は尼港事件で手柄を立てた。

スミの次男私の祖父野崎玉之助が興した材木商は山のマーク
青梅柱材を東京,横浜方面へ出荷した。
本家の叔父野崎恒智は桧原村の山林家岡部の娘を娶る。最近の
調査に拠れば岡部は1213年の鎌倉和田合戦から人里へ敗走した和田落人
7軒組でした。

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