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私が終戦を迎えた母の生家がある増戸村伊奈。 [戦争の記憶]

                 by ぼくあずさ

出征していた父、田端新町の家に母は私と次女は水の溜まった
防空壕にいた。空襲警報のサイレン、ドカンと大きな爆発音、
近くの明治通り沿いの赤煉瓦(変電所)に爆弾が投下された。
田端新町国民学校の屋根の上空を飛び去る見慣れぬ戦闘機が
記憶に残る。

兄と姉が縁故疎開している母の伊奈中平の生家へ緊急避難。
昭和18年夏のこと。程なく三女が誕生。
材木商を興した祖父玉之助が建築材を寄付して建てられた
大きな増戸国民学校の校舎の校舎の近く、戦争末期
北伊奈の山に倉庫洞窟を掘る為に軍隊が駐屯、部隊長が
入浴する風呂に指定され番号「01」と記されていた。


94歳で他界された嘉永元年生まれの曾祖母の杉浦スミの
記憶は残念ながらない盛大な葬列しかない。


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