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函館奉行杉浦誠 [フリューレン村だより]

                by ぼくあずさ

最後の函館奉行杉浦誠は私の母方の曾祖母杉浦スミの一族です。

鎌倉時代末期、和田の合戦で北条に滅ぼされ、近江に逃れ
蟹江城攻略で手柄を立てた七本槍として徳川家康の父の信任を
得て復活、三四代将軍の下で勘定奉行を務めた血筋です。

幕末には討長州派の柴田氏と違い、慶喜の意向に沿って行動。
和田の合戦での屈辱的な敗北の記憶が生きたものと思われる。

大政奉還で奉行所は新政府に移管

慶応3(1867)年、15代将軍・徳川慶喜は、将軍職を辞して
政権を朝廷に返還し、ついに江戸幕府は崩壊しました。
箱館奉行所が五稜郭へ移転してから、わずか4年足らずでの
出来事でした。

大政奉還の翌年、最後の箱館奉行となった杉浦誠は、明治政府
の総督・清水谷公考と対面し、蝦夷地全域を新政権に引き継
ぎ、奉行所と五稜郭を明け渡しました。

この数日後、奉行所は箱館裁判所(明治新政府による地方行政
機関の名称。現代の裁判所とは異なる。)として開庁し、
さらに箱館府と改称されて蝦夷地開拓の役割を果たすことに
なりました。
http://www.hakodate-bugyosho.jp/about3.html
 
杉浦誠
幕末の激動する政局の中で、最後の箱館奉行と呼ばれた開拓使函館支庁
主任杉浦兵庫頭。

http://www.zaidan-hakodate.com/jimbutsu/b_jimbutsu/sugiura_mako.htm

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