杉浦氏と永井氏 [フリューレン村だより]
by ぼくあずさ
母方のFamilie Gedichte の調査が略終わりに近い今、杉浦氏と
と同じ三河出身で265年間徳川幕府の重臣を務めた永井氏の
姓が度々見かけられる。杉浦氏と永井氏の関係が気になる。
母方のFamilie Gedichte の調査が略終わりに近い今、杉浦氏と
と同じ三河出身で265年間徳川幕府の重臣を務めた永井氏の
姓が度々見かけられる。杉浦氏と永井氏の関係が気になる。
三浦一族の杉山氏は和田氏を名乗っていた。鎌倉内の和田の
合戦に北条に敗れた和田氏は近江に逃れ杉浦氏に改名。
徳川三代四代将軍時代には勘定奉行を務め、幕末には徳川慶喜
の大奥に一色須賀を送り込んでいる。一色氏は杉浦の養子、
合戦に北条に敗れた和田氏は近江に逃れ杉浦氏に改名。
徳川三代四代将軍時代には勘定奉行を務め、幕末には徳川慶喜
の大奥に一色須賀を送り込んでいる。一色氏は杉浦の養子、
慶喜より一色の姓を賜る。和田と一色は共に三浦半島相模湾に
面した海岸に地名を残す。
幕府の若年寄佐幕派永井尚志は薩摩屋敷の焼き討ち後征薩派に
面した海岸に地名を残す。
幕府の若年寄佐幕派永井尚志は薩摩屋敷の焼き討ち後征薩派に
なる。彼のアドバイスで慶喜は上野寛永寺内に蟄居、鳥羽伏見の
戦いに敗れ水戸へ、更に駿府へ移動した。
三浦荒磯に長井城跡と思われる処があるがハッキリしない。
永井一族は豊臣の配下から徳川に寝返った。三浦一族ではない。
功を求め好戦的な幕末の永井は慶喜の信を失った。
他方杉浦氏は長篠の戦や甲州征伐に積極的には参加せず、
直轄地の信州伊那や武蔵伊奈村を統治する役目を仰せつかった。
三浦荒磯に長井城跡と思われる処があるがハッキリしない。
永井一族は豊臣の配下から徳川に寝返った。三浦一族ではない。
功を求め好戦的な幕末の永井は慶喜の信を失った。
他方杉浦氏は長篠の戦や甲州征伐に積極的には参加せず、
直轄地の信州伊那や武蔵伊奈村を統治する役目を仰せつかった。
長井城跡、荒磯海岸
https://kamakura8.blogspot.jp/2015/07/blog-post_15.html
第六回 永井尚志 ――旗本から栄進した忠なる能吏
永井氏由来(甲奴郡総領町龍興寺文書)
http://bingo-history.net/archives/13535
http://blog.livedoor.jp/rekishireal/archives/49700975.html
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第六回 永井尚志 ――旗本から栄進した忠なる能吏
永井氏由来(甲奴郡総領町龍興寺文書)
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徳川慶喜の幕末・明治
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