一色須賀と一色杉浦 [フリューレン村だより]
by ぼくあずさ
一色家は杉浦家からの養子から続く家系。
杉浦の旧姓は和田と一色は共に三浦半島の地名です。
三浦一族が起源であることが分かります。
一色須賀は旗本 一色定住の長女 ⇒ 一色定住の妹の養女
⇒ 徳川慶喜の正室付の女中
⇒ 慶喜の側室へ
一色杉浦は 一色定住の妹 ⇒ 一橋家の老女(女中頭)
一色 直氏(いっしき なおうじ)は、江戸時代前期の寄合・旗本
。一色義直の娘婿であった杉浦直為の子。
一色家は杉浦家からの養子から続く家系。
杉浦の旧姓は和田と一色は共に三浦半島の地名です。
三浦一族が起源であることが分かります。
一色須賀は旗本 一色定住の長女 ⇒ 一色定住の妹の養女
⇒ 徳川慶喜の正室付の女中
⇒ 慶喜の側室へ
一色杉浦は 一色定住の妹 ⇒ 一橋家の老女(女中頭)
一色 直氏(いっしき なおうじ)は、江戸時代前期の寄合・旗本
。一色義直の娘婿であった杉浦直為の子。
慶長12年(1607年)に義直の家督を継いだ実子照直が嗣子がないまま病死した。そのため、隠居していた義直が再び家督に復した上で、嗣子となるべき血族を探し養うよう幕府より恩命を受けた。義直の娘婿にあたる杉浦直為の子で義直の外孫にあたる直氏が養子となった上で、一色氏を相続することとなった。寛永16年12月10日、将軍徳川家光に拝謁したが、いまだ幼年であったため実父の直為が一色姓に改姓し領地に住し、諸事を司った。慶安3年4月26日、甲府城守衛の命を受ける。
承応元年に没し、嫡男直房が家督を継いだ。
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