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伊那市文化財係長殿よりの武蔵国伊奈村の情報 [フリューレン村だより]

                by ぼくあずさ

母方の生家は武蔵国増戸村伊奈中平にある。大本家は上山の
野崎姓です。事実広いあきる野の原の奥まった処にある。
言い伝えによれば平安時代末期に信濃国伊那郡より12家族が
移住して来た。これに関連して伊那市文化財係長殿

に問合せた。
早速電話での報告に合わせ多くの資料が郵送された。

非常感謝。

資料受領資料:

(1)信濃国伊那郡からの12家族移住について
       (平成30年2月6日)
(2)信州高遠 四季かわら版 高遠の石工と石匠
      
(2004年8月22日)

(3)(一)高遠の石工 
        (二)東京都西多摩郡五日市町伊奈の石工
     「新編武蔵風土記稿多摩郡の巻」に次のように
                記されている。
     〇伊奈村は群の中程にあり、秋留郷に属す、村名
             
の起所を尋るに、往古信濃国伊奈郡より石工多く
             
移り住で専ら業を広くせし故に村名となせり、
     天正十八年御入国の後江戸御城石垣等の御用を
             
つとむと云えり、されど今は其職を業とする者
             
なし、江戸日本橋より工程凡十二里、家数二百軒

     ・・・
                                                              以上


ぼくあずさのコメント:
(1)信濃国伊那郡より武蔵国伊奈村に石工が移住、
        江戸時代にも移住したが現在は其の職のものおらず。
(2)私のご先祖も特定できず。私の大本家は横沢の水源を
   含む水路を独占、村で唯一広い水田を終戦後も所有。

(3)私が大学生の頃、東京田端新町の実家再建祝いに
        母の幼馴染み、大正大学総長の大悲願寺ご住職他が

   来宅したことが記憶に残る。
(4)徳川家御家人の娘が伊奈の百姓の家に嫁入りして
   私の祖父玉之助と其の兄の二人の息子を生んだ事情は
        依然として謎です!!!

我がご先祖の明治維新
https://blog.so-net.ne.jp/MyPage/blog/article/edit/input?reload_blog_id=247454&id=103167323
大悲願寺の白萩@あきる野市横沢〜独眼竜政宗ゆかりの
古刹で花見

http://tama-gour.com/?p=12734

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