明治通リには朝晩決って進駐軍の戦車隊が十輪車を先頭に [戦争の記憶]
Hallo Oさん、Mさん
Ich bedance mich sehr fuer die Email mit schoene Bilder.
東京生まれ、育ちの私、勿論終戦後の焼け野原の帝都東京を
知っています。
上野恩賜公園は浮浪者で溢れ、西郷さんの銅像前の石段を
米兵がジープで登って来ました。
明治通リには朝晩決って進駐軍の戦車隊が米兵を載せた
十輪車を先頭に住民を威嚇しながら走りました。
バケツを右手に釣り竿を担いで日劇前の数寄屋橋を過ぎ、
瓦礫の歌舞伎座を左手に見ながら更に歩き勝鬨橋を渡り
きると目的地の月島です。バスや都電には乗らない。
こんな記憶をもつ私に新しい東京の写真は今浦島にならない
為の行動の必要を教えて呉れました。非常感謝。
なお、i-pad 送信foto はblog への転載不能でした。
デジカメで撮影したがこれはPC の中で迷子になり、やむなく
Free foto を利用しました。ご了承ください。
レンガ造りの東京駅背後の高層ビルの間が空いているのは東京
湾から墨田川沿いに流れ来る冷風が東京駅を越えて皇居へと
導く配慮です。
Liebe Gruesse,
ぼくあずさ
Mさんのコメント:
戦後間もない頃の上野公園の様子と歌舞伎座まえを歩いて
釣りに行ったハナシですね、小学校高学年の頃でしょうか。
小生戦前は西郷さんの銅像の処から花電車を見下ろしたことと、
戦後日本橋白木屋の地下へスケソウダラの買い出しに行った
記憶が
あります。
Oさんのコメント:
ブログを拝見。東京、いや日本本当に良く立ち直りました。1952年に初めて
上野から東京に入りましたが、未だ汚れた戦後の印象が残っています。
激動の73年間でした。
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