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ご先祖の明治維新 [フリューレン村だより]

                by ぼくあずさ

此処数日の果物はミンダナオ産の甘いバナナと熊本産オウタム
キングです。皮ごと食べられる葡萄です。

幕末のミニ歴史:
1849年嘉永2年  曾祖母上野不忍之池畔で誕生
1945年昭和20年 96歳で波乱の人生を全う。
1853年嘉永6年  ペリー金沢小柴沖に来訪
                               東京生まれの私ですが現在西柴に在住
1867年慶応3年  大政奉還
1868年慶応4年  上野戦争
1879年明治12年 グラント将軍訪日
                               祖父野崎玉之助誕生(次男)    

父方:
父は明治39年静岡県静岡宿生まれ。自宅は駿府城近く。
曾祖父が急死、西島家存続させる為父の祖母は13歳の時に
立川流宮大工の杉山家から入り婿をとり結婚。

大政奉還(1878年)した徳川慶喜は駿府城に移る。
杉山家は彼の子供27人の内の一人を引き取り養育。
私の伯母は娘時代に慶喜にお茶を差上げたそうです。

私の父は伯父と共に深川の材木問屋へ、父は当時日本一の
材木商「武市」の番頭になる。後に独立して伯父と共に
富士一登駿河屋材木店を開く。
山のマークの青梅柱材を東京、京浜地区に出荷する武蔵五日市
材木商の娘を娶る。私の自慢の母です。


田端新町に店を移した。東京一の13間3尺(宮家向けより
1寸低い)旗竿に東京一の鯉のぼりと吹き流しと社旗がへん
ぽんと翻り、端午の節句には帝都の新聞紙面を飾りました。

終戦直後の焼け野原の田端に材木店を再開半ばの昭和22年
3月に持病の胃潰瘍で他界。

大工の匠の技を絶やさない父の遺志を継いだ母が10年掛
けて作り上げた自宅は妹が住む。12人の棟梁方の腕の良い
若手大工が分担した他、新宮殿の建立に参加した特殊技能の
大工が特別招請されました。

母方:
嘉永2年(1849年)曾祖母不忍之池畔に住む徳川旗本の娘と
して誕生。大政奉還(1878年)武蔵増戸村伊奈中平へ。
父兄は帝国陸軍中将少将、露ボヘミアンスク日本人居留地へ
のパルチザンの襲撃事件鎮圧。

嫁ぎ先は平安後期信濃国伊那郡から伊奈に移り住んだ12家族
の末裔。野崎(上山の﨑)、大福、在原は同族。
大本家の野崎は水無の阿伎留野の西端に居住、水源を独占
、伊奈中平を南北帯状に土地を所有する。大福には古文書が
ある。
我家の庭には大福の牡丹の孫木が大切に植えられている。

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