夭逝した有元利夫 [フリューレン村だより]
by ぼくあずさ
昼食後何気なくTVをつけたら、有元利夫画伯の名がちらり。
中学時代の学友の弟さんと聞いていた。有元さんは同じ大学の教育学部に
進学、父親も早稲田卒。谷中を散策する時は決まって谷中銀座中程の処に
ある文具店で店番している有元さんと立話をした。
学生時代一人北海道周遊旅行中に彼と確か昭和新山でパッタリ出会い、
彼の同伴者のクラスメイトのJurgendherbergの会員証を借り、
層雲峡から、最後の函館までの間は宿泊費が節約できた。
東京TVの鑑定団に出展された人物像は350万円の値がついた。
因みにこの旅では田端駅で山手線に乗車した電車内で同じく中学時代の
学友木内さん(後に浅草寺大僧正)、洞爺湖畔沿いの道を歩いている時、
旅館の2階の窓から横田研究室でチタンのヘリアーク溶接の共同研究を
したTさんに声を掛けられた。
60年も昔の出来事が色鮮やかに想い出される。不思議な脳の働きに驚く。
http://japanese.donga.com/Home/3/all/27/907789/1
マリモの歌
http://www.bing.com/videos/search?q=%e3%81%be%e3%82%8a%e3%82%
昼食後何気なくTVをつけたら、有元利夫画伯の名がちらり。
中学時代の学友の弟さんと聞いていた。有元さんは同じ大学の教育学部に
進学、父親も早稲田卒。谷中を散策する時は決まって谷中銀座中程の処に
ある文具店で店番している有元さんと立話をした。
学生時代一人北海道周遊旅行中に彼と確か昭和新山でパッタリ出会い、
彼の同伴者のクラスメイトのJurgendherbergの会員証を借り、
層雲峡から、最後の函館までの間は宿泊費が節約できた。
東京TVの鑑定団に出展された人物像は350万円の値がついた。
因みにこの旅では田端駅で山手線に乗車した電車内で同じく中学時代の
学友木内さん(後に浅草寺大僧正)、洞爺湖畔沿いの道を歩いている時、
旅館の2階の窓から横田研究室でチタンのヘリアーク溶接の共同研究を
したTさんに声を掛けられた。
60年も昔の出来事が色鮮やかに想い出される。不思議な脳の働きに驚く。
http://japanese.donga.com/Home/3/all/27/907789/1
マリモの歌
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