今日こそは秋季皇霊祭 [新入帰化在日朝鮮人三世の韓国新聞]
by ぼくあずさ
終戦前までの”秋季皇霊祭”は今では”秋分の日”に呼称を換えて
います。在日朝鮮人三世の金田さんの記事”今日こそ秋季皇霊祭”で
初めて知りました。私は終戦の年の昭和20年4月に縁故疎開先の
増戸国民学校に新入学しました。広い校庭の西側に”奉安殿”があり、
その前に従列体形に並んだことを良く覚えています。
その後8月15日に本家の庭に集まった多くの人に混じってラジオで
天皇陛下の玉音を拝聴しました。”奉安殿”は間もなく取り壊されました。
”勤労感謝の日”は戦前”新嘗祭(にいなべさい)”と呼ばれていました。
ぼくあずさのコメント:
(1)中朝両国の様な軍国主義はまっぴらですが、日本と日本人の歴史と
文化を伝える”秋季皇霊祭”や”新嘗祭”の呼称を復活して欲しい。
今日こそは秋季皇霊祭
http://blog.livedoor.jp/kanedashoji70/archives/43184538.html
秋季皇霊祭
http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20100923/1285193194
ペリーの見た江戸日本
http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20130130/1359550456
新嘗祭
終戦前までの”秋季皇霊祭”は今では”秋分の日”に呼称を換えて
います。在日朝鮮人三世の金田さんの記事”今日こそ秋季皇霊祭”で
初めて知りました。私は終戦の年の昭和20年4月に縁故疎開先の
増戸国民学校に新入学しました。広い校庭の西側に”奉安殿”があり、
その前に従列体形に並んだことを良く覚えています。
その後8月15日に本家の庭に集まった多くの人に混じってラジオで
天皇陛下の玉音を拝聴しました。”奉安殿”は間もなく取り壊されました。
”勤労感謝の日”は戦前”新嘗祭(にいなべさい)”と呼ばれていました。
ぼくあずさのコメント:
(1)中朝両国の様な軍国主義はまっぴらですが、日本と日本人の歴史と
文化を伝える”秋季皇霊祭”や”新嘗祭”の呼称を復活して欲しい。
今日こそは秋季皇霊祭
http://blog.livedoor.jp/kanedashoji70/archives/43184538.html
秋季皇霊祭
http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20100923/1285193194
ペリーの見た江戸日本
http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20130130/1359550456
新嘗祭
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