朝鮮併邦時代の日本人官舎の再生 [朝鮮半島・中国・台湾]
by ぼくあずさ
多くの棟梁方が店に集まり母を中心にしてお茶を飲みながら情報交換
する日々は私が大学を卒業した昭和35年ごろも続いていました。
主に福島、栃木にある父の「武一」の番頭時代の同僚たちの製材工場
から貨車で田端駅に届いた材木を満載して馬車がやって来る。
ダイハツとマツダの三輪車で積み出す作業。もたもたしていると母の
生家の製材工場から山のマークの青梅の柱材を積んだ代燃車が到着。
焼け野原の東京の復興は先ず木造住宅の建築ラッシュをもたらした。
大工技術を絶やしてはならないとの父の意向を受け継いだ母が終戦後
に建てた自宅が完成したのは昭和34年のことでした。この家屋は末の
妹が受け継いでいますが、東京都文化財級の木造住宅の保守保存は
並みの苦労ではありません。
こんな家庭に生まれ育った私ですが次男生まれの気楽さから、大学で
は機械工学を専攻しました。それでも材木屋の「ぼくちゃん」の心は今も
変ることはない。ハンギョレに紹介された記事をブログに紹介した次第。
30日に開館する仁川関東ギャラリー、1930年頃に建てられ…日本でも珍しい。日本の建築家と韓国の大工の匠。考証を経て7カ月に及ぶ大々的な工事、腐った柱の脇に新しい柱を立てて、沈んだ屋根を持ち上げ、写真アーカイブ展示空間に変身。 ハンギョレより転載。
日本に関係するものは古墳までも目の色変えて破壊・作り変えてしまう民度の低い韓国に在って、建設当時と同じ京間尺での再生工事とは奇蹟です。
韓国に残る日本式木造連立住宅の特異な再生
http://japan.hani.co.kr/arti/culture/19328.html
「連立住宅」とは聞き慣れない名ですが、「棟割長屋」のことでしょうか。
いずれにしても、韓国でよくぞ日本式住宅が再建再整備されました。
by 村尾鐵男 (2015-01-17 18:09)