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『燕行使の道を行く』  [朝鮮半島・中国・台湾]

                           by ぼくあずさ

朝鮮燕行使室町、豊臣、徳川時代と続いた朝鮮通信使について僅かに徳川幕府への朝貢のみ断片的な知識があるが、朝鮮燕行使について初めて知りました。1826年の申在植の燕行は私の曾祖母が生まれる3年前ですから、つい最近まで行われたことが分かる。左図は朝鮮日報より転載。

リンク先によると「高麗末期まで含めると、韓国の使臣が中国に通った回数は、13-14世紀に119回、15世紀に698回、16世紀に362回、17世紀に278回、18世紀に172回、19世紀に168回、合計1797回に達する。正使・副使・書状官をはじめ、軍官や訳官、下人や御者まで含めると300人から600人に達する大規模な行列。」

京大元教授の夫馬進氏の論文によれば、江戸時代265年間で朝鮮通信使は12回派遣されてきたが、同じ期間の朝鮮燕行使は494回も派遣されている。特徴的なことは朝鮮通信使は厳格な監視下にあった。

朝鮮通信使の鶏盗が広く知られていますので、裏事情をリンク先に
追加しました。ご参考まで。


ぼくあずさのコメント:

(1)韓国人にとり屈辱的な燕行使について、この時期に朝鮮日報上で
   紹介された理由は何処にあるのだろうか?
(2)「日本恨み千年」「媚中」の朴大統領は事大主義で許されるのか?
(3)心理学でいう処の「機制放映」というものだそうだ。
(4)韓国人の思考法は理解できない。
(5)使節のひとたちは、さぞや嫌な役目であったにちがいない。


北京まで2000キロ、朝鮮の使臣が歩いた道を追う
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/12/06/2014120601394.html
「朝鮮燕行使と朝鮮通信使」
-1811年金善臣の通信行と1826年申在植の燕行を中心に-
http://www.hmn.bun.kyoto-u.ac.jp/sympo02-01/01.html
歴史投稿 朝鮮通信使  朝鮮通信使の隠された真実の姿を暴く
http://www.geocities.jp/kusazoshi/jpnchosen01.htm 
日米安保にタダ乗りの韓国 [朝鮮半島・中国・台湾]
http://dorflueren.blog.so-net.ne.jp/2014-07-19
韓日交流二千年 申淑舟の日本研究 [朝鮮半島・中国・台湾]
http://dorflueren.blog.so-net.ne.jp/2014-07-17-2
めざめよ日本人 高句麗人(フヨ族)の歴史
http://tomoya-jinguuji.tumblr.com/post/49250035603
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村尾鐵男

日本へ来る朝鮮通信使が監視されていたのは、二つの理由があります。一つは、通信使が旅館の浴衣や枕の他、用具等を盗んだからであり、もう一つは、怜悧な新井白石が見破ったと想像されますが、日本の情報を清国へ、在ること無いことを混ぜて伝えたからでしょう。告げ口外交は当時の李朝朝鮮の時代から朝鮮族が得意としていました。
by 村尾鐵男 (2014-12-11 09:15) 

ぼくあずさ

村尾さん
コメント、ありがとうございます。
裏事情をリンクしました。
by ぼくあずさ (2014-12-11 10:59) 

村尾鐵男

朝鮮通信使で来る朝鮮人は両班(リャンパン)が主であったと伝えられますが、よく間違えて伝えらています。そもそも両班には文班と武班がありました。でも、武士道が栄えなかった朝鮮では、いつの間にか武班が廃れ、文班だけが政治を弄するようになり、他人の持ち物を盗むのにも抵抗感がなくなったようです。対する日本は武家政権であり、倫理観が旺盛でした。
by 村尾鐵男 (2014-12-11 13:24) 

夏炉冬扇

朝鮮通信使が来た島が近くにあります。
by 夏炉冬扇 (2014-12-11 16:31) 

ぼくあずさ

夏炉冬扇さん
niceとコメントありがとうございます。
対馬を出た船がお近くの島に寄港したのでしょうか。

by ぼくあずさ (2014-12-11 19:15) 

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