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フィリピン女性がDJのFM「ラジオ・バヤニハン・ケンセンヌマ」 [国境を越える人の移動]

                                                                  .by ぼくあずさ


バブルのころは、西柴住宅地のあちこちで住宅のペンキ塗りする外国人労働者を見かけたが、今はまったく姿を消して久しい。

炎天下の昼下がり信州高原野菜を運んできた宅急便が止まった気配、玄関扉を開けるとダンボール箱を重そうに両手で抱えている小柄な女性が立っていました。男性でも厳しい仕事をよくもまあ、頑張っているものだ。アクセントと容貌からフィリピーナと察しられた。若ければ収入のよいフィリピンパブで働けるのだろうが、今では家計を助ける為の肉体労働に進出している。

震災被害地の気仙沼には日本人男性と結婚して住みついたフィリピン女性約70人程が住んでいる。「通信がだめになり、携帯電話も通じない」状態の震災3ヶ月後11年6月にFM局をスタートした。詳細はリンク先をお読み下さい。
なお、サイマルラジオのサイトwww.simulradio.jp から同FMを聴けます。


ぼくあずさのComment

売春稼業で来日する主に韓国女性たちと異なり、嫁不足の農・漁業地区に嫁いで来る真面目な女性たち。バイタリテイがあり、地域に貢献する生活態度が見られる。
お付き合いのあった天津大学の張教授の説によれば、中国奥地から黄河を下ってきた若者たちは危険を冒して天津から船で日本に渡り、縄文時代の日本女性を嫁とり稲作を伝えたという。学問的な裏づけはないが、縄文人と弥生人の間に大きな戦はなかった。稲作技術は婚姻により縄文人部落に徐々に平和裏に伝搬したのかと想像される。


気仙沼ラジオ:「助け合い精神」フィリピン人女性が活躍
http://mainichi.jp/select/news/20130821k0000e040227000c.html


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村尾鐵男

私は読売新聞を購読していますが、三年前まで、配達員は黒人の青年でした。ある日、何処の生まれかと尋ねたら、ウガンダでした。最近は見掛けないので、跡を継いだ日本人の配達員に彼の消息を尋ねたら、横浜に在る大学を苦労して卒業して故郷へ戻り、日系の会社へ採用された由。
by 村尾鐵男 (2013-08-22 18:16) 

ぼくあずさ

村尾さん
なんとも見上げた青年ですね。何故来日したのか知りたいものです。
日々の猛暑、秋の虫が煩く鳴いています。あと少しの辛抱です。
by ぼくあずさ (2013-08-22 20:44) 

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