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創作短編(52): 子供手当の元祖秋月種茂 –10/10 [稲門機械屋倶楽部]

                           WME36 梅邑貫


 日向高鍋藩は藩主秋月種茂の事跡を継いで、今日の宮崎県児湯郡高鍋町も文教の町として栄えています。
その基礎を築いた秋月種茂は文教と福祉の政策を推し進めるに際して、農民により重い年貢米を求めることもせず、又、商人にさらなる上納金を求めることもなく、新田の開墾と藩そのものの殖産興業に努めました。為政者が政策を強く推進するとき、その財源を増税に求め、加えて不要にばら撒けば、秋月種茂に言わせれば下策中の下策です。

 天明八年(1788年)の初冬、秋月種茂は四十五歳、日向高鍋藩の藩主に就いた宝暦十年(1760年)から二十八年が経っていましたが、「いささか疲れ申した」と言って、嫡男の種徳(タネノリ)に藩主の座を譲って隠居しました。
ところが、二十三歳で藩主に就いた種徳が病弱で、藩政改革の先頭に立つことが出来ず、隠居した父親の種茂が依然として政務を執る状況が続き、しかも文化四年(1808年)に種徳が親より先に亡くなってしまいました。
その跡は、種徳は正室との間に子がなく、側室との間に生まれた十九歳の種任(タネタダ)が継ぎます。

秋月種茂は文政二年(1819年)十一月に七十五歳で没しておりますが、実弟の上杉鷹山は二年四ヶ月後の文政五年(1822年)五月に七十一歳で没しました
秋月種茂は今の世にはあまり知られておらず、一方、上杉鷹山はよく知られていますが、共に藩政改革に挑み成功した二人の名君で、実の兄弟であった藩主の物語でした。      (了)


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