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創作短編(52): 子供手当の元祖秋月種茂 –7/10 [稲門機械屋倶楽部]

                              WME36 梅邑貫


 この米沢藩の藩校である興譲館は、現在は山形県立興譲館高等学校としてその名を残しております。

  秋月種茂は日向高鍋の「明倫堂」をさらに充実させ、成績が優秀な者には奨学金を与えて、さらに高度な勉学に励むべく江戸や京都へ留学させるようにもなりました。
 若干重複しますが、秋月種茂の教育方針で特筆されるのは、藩士の子弟に限ることなく、町民と農民にも明倫堂で学ぶ機会を与えたことです。
他の藩の多くも藩校を設立して教育に力を注いでいましたが、大半はその対象を藩士、それも上士と呼ばれる高級武士の子弟だけに限ることが通常であり、下士の子弟にも入校が許される例は少なかったのです。その時代に、秋月種茂の明倫堂は上士と下士の子弟は当然としながらも、町民と農民の子供達にも学べる明倫堂は際立った存在でありました。

「子供を育て易くし、育った子供に学問を与える。これぞ我が高鍋の基(モトイ)なり」が秋月種茂の信念でありましたが、為政者として、子育てと教育のみに意を注いだのではなく、藩の財政を少しでも良くするために殖産興業にも熱意を示しました。

 先ず、新田の開墾から着手しました。現在の宮崎県は気候が温暖であることで知られていますが、特に日向地方は暖かくて冬季の寒冷も厳しくなく、夏季も猛暑に見舞われることが少ない土地です。
ですから、秋月種茂の時代でも、為政者に積極性があれば、農業と林業を興すことは、弟の治憲が苦労している東北地方の米沢に較べれば恵まれていました。


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