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創作短編(52): 子供手当の元祖秋月種茂 -1/10 [稲門機械屋倶楽部]

                                 2012-9 WME36 梅邑貫


時    :宝暦十年(1760年)より
場所  :日向高鍋藩
登場人物:秋月種茂

 日向の高鍋藩は現在の宮崎県児湯(コユ)郡東部で高鍋町を含む一帯でが、南北に長い宮崎県の海岸部、日向灘に面する中央部の辺りです。この日向高鍋藩の第七代藩主が秋月種茂(タネシゲ)で、宝暦十年(1760年)に、父親で第六代藩主の秋月種実(タネミツ、或いは、タネミ)の隠居に伴い、弱冠十六歳で就任しました。官位は従五位下、山城守です。

 十六歳の年齢は若いことには違いありませんが、昔は数え年で十五歳になると元服し、一人の大人として見做されました。女性も十三歳になると一人前とされました。

 秋月種茂は藩主に就くと、直ちに藩政の改革に着手しますが、それは性急なものではなく、若さを活かす、即ち、持ち時間が長いが故の着実なものであり、

「余は、先ず、人を育てるが肝要と思うておる」と宣言し、秋月種茂その人自身が大変な勉強好きでしたが、藩士とその子弟に限ることなく、郷民をも対象とする教育に熱意を注ぎました。

 日向高鍋藩には「明倫堂」と命名された藩校がありますが、この有名な「明倫堂」が設立されたのは、秋月種茂が藩主に就いてから十八年後の安永七年(1776年)ですが、その「明倫堂」として結実させるはるか前から、士と民を挙げての教育が藩主秋月種茂の強い意志の下で始められていました。


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あゆさこ

わっ!一番乗りです~!
アルマさん!rtfkさん!おっ先~!(笑)
by あゆさこ (2012-09-14 04:44) 

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