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創作短編(47):番外編 時代劇を楽しむ基礎知識 -7/8 [稲門機械屋倶楽部]

                                                         2012-07 WME36 梅邑貫


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9    知行取と蔵米取

武士の俸禄、即ち、給与の支払方法は基本的に知行取(チギョウトリ)と蔵米取(クラマイトリ)の二方式であり、これに僅かですが現金による支給があります。

 高位の旗本には、俸禄に相当する米が収穫可能な知行地が与えられます。たとえば、一千石の知行地が与えられると、四公六民の分配により、四百石が旗本の受け取り分となります。この米を俵に詰めると、一俵には四斗の米が入りますから、四百石の米は一千俵の量になります。この計算を省いて、「一千石(一千俵)」と書かれている文がときにありますが、一千石の米が一千俵の米と言う意味ではなく、一千石の知行地で、手取りの米が一千俵との意味です。


 下級の旗本や御家人の大半は知行地が与えられることはなく、幕府の米蔵から米そのものが支給されます。
  初めに、江戸時代に全国の石高は二千五百万石ほどであったと記しましたが、この内、幕府の石高は八百万石と伝えられます。この八百万石から旗本の知行地の分として二百五十万石ほどを取ると、残りは四百五十万石で、四公六民の配分率に従えば、百八十万石ほどが幕府直轄の天領から江戸へ送られました。
 現在の住所で、東京都台東区柳橋一丁目と蔵前二丁目、即ち、総武線が隅田川を渡る鉄橋の付近から厩橋の間の右岸、浅草側に幕府の米蔵が並んでいました。

  下級の旗本や御家人には浅草にある幕府の米蔵から春、夏、冬の三回に分けて俸禄に相当する米が支給されました。春と夏は俸禄の四分の一ずつで、これを春借米(ハルカリマイ)、夏借米と呼び、いわば前借に相当する米の支給です。残りの半分は冬に支給され、これを冬切米(フユキリマイ)と呼びました。

 しかし、米だけでは生活できないので、一家の食糧となる量を残して、余分な米を換金しました。それが札差、即ち、米から現金への換金を専門とする金融業者で、浅草の米蔵に隣接して多数が集りました。


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