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創作短編(41):支倉長徑、後に常長 -6/8 [稲門機械屋倶楽部]

                                     2012-03 WME36 梅邑貫

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支倉長徑は自分がキリスト教徒でないことが条約を結べぬ主因であろうと考えたのかもしれません。そのためか、ローマ教皇パウロ五世に拝謁した折であろうと推測されますが、洗礼を受けてドン・フィリッポ・フランシスコの名を授与されています。

ところが、交易の条約締結には至りませんでした。何故なのか、その理由はよく判りません。スペインの側から見れば、既にスペイン船が日本へ幾度も航海して、日本へ売りたい物品は売っており、しかも日本は遠い東洋の小国ですから、面倒な条約を結ぶ必要はなかったと推測されます。

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 私はスペイン語が判らないので、同じラテン語系の英語で語らせていただきますが、契約は英語では Contract Agreement の二つの言葉があります。Contract とは、契約者の双方がその契約内容を履行することを神に誓うことです。ですから、キリスト教徒、或いはキリスト教国同士の間で結ばれる約束事は Contract と呼ばれ、キリスト教国が非キリスト教国と結ぶ契約は 神を介在させないAgreement と呼ばれます。

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 当時のスペイン王やローマ教皇から見れば、日本は宣教の対象ではあっても、未だキリスト教国とは言えません。それどころか、宣教を禁止され、キリスト教は禁止されてキリスト教徒が迫害される怖れのある国でもありました。

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 その日本と何等かの約束事を成文化することに、スペイン国王もローマ教皇も躊躇したであろうと容易に推測されます。スペイン国王に、仮に、日本と通商条約を結ぶ意思があっても、急ぐ必要はなかったと思われます。何故なら、繰り返しになりますが、既にスペイン船が幾度も日本へ航海して西洋の物品を売っており、しかも日本は異教の国でキリスト教徒を迫害しかねない国ですから、条約を結ぶのに急ぐことはなく、支倉長徑がキリスト教徒に改宗してはいても、欧州の政治面での覇者であるスペイン国王と宗教面での統治者であるローマ教皇は、キリスト教徒となった支倉長徑個人のことではなく、国家としての日本の位置付けが未だ十分にはできていなかったと思われます。


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