SSブログ

摂播五泊 [時々懇]

.

月川さん  写し 西島さん

正月奥さんとお寺詣で心穏やかな日々をお過ごしの様ですネ。

.

須磨の関 -2/2 [和田の泊りより]

http://dorflueren.blog.so-net.ne.jp/2012-01-16-2 

.

摂播五泊というのがあったのですね:   

  地図の上にプロットしたいですね。

.

   ・河尻泊(兵庫県尼崎市神崎町)

   ・大輪田泊(兵庫県神戸市兵庫区)

   ・魚住泊(兵庫県明石市魚住町)

   ・韓泊(兵庫県姫路市的形町、のちの飾磨津)

   ・室生泊(兵庫県たつの市御津町室津).

.

img059.jpg.

.

.

.

.

.

..

.

.

.

.

.

.

.

.

.

.

.

..

17世紀後半の東京湾「西44か浦及び磯付き18か村」分布図

  西島さんの愛してやまない「小柴村」があります。

  「東京湾における水の循環、そのおもしろい特徴」ハードコピー

    撮りました

.

東京湾内水循環 [日本]

http://dorflueren.blog.so-net.ne.jp/2012-01-17-4 

.

兵庫県と神奈川県との対比

 どうしてそれぞれ神戸県、横浜県とならなかったの?

 神奈川湊はあるが、兵庫湊もあるのでしょうね。                               

--                                                                                                     森田 和夫


nice!(9)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

nice! 9

コメント 4

村尾鐵男

幕末に兵庫港が開港し、明治12年(1879年)に勅令で神戸港と名を替えたのですが、元々は兵庫の方が知名度が高く、神戸は一寒村だったようです。
一方、横浜も僅かに百戸ほどの漁村で、当時のアメリカは神奈川湊の開港を求めました。神奈川は東海道の主要な宿場でもあり、既にかなり栄えていました。これに対し、幕府は東海道の要衝を異国の者に見せたくなく、横浜も神奈川の一部であると主張して横浜を開港しました。その後の廃藩置県で、まさか横浜県とは出来なかったのでしょう。
by 村尾鐵男 (2012-01-18 20:11) 

村尾鐵男

上記コメントを書いた後、もう一つ思い出しました。

大和朝時代、「兵庫」と称する施設が各所にあり、これを「ツワモノクラ」と読みました。
「兵庫」とは軍用の食糧を貯蔵しておく施設で、現在の兵庫県の何処かにも在ったと推察され、三韓(任那、新羅、百済)政策を遂行する上で重要な施設でありました。兵庫県の「兵庫」は規模も大きかったであろうと察せられ、次第に地名としても定着したと想像されます。
by 村尾鐵男 (2012-01-19 13:01) 

ぼくあずさ

森田さん、村尾さん
地名には、歴史的に大きな意味をもつものがあることを教えられました。
地元だけに通用する「小柴」の地名が文化十三年(1815)の公文書
に記載されているのは新たな発見です。非常感謝。
by ぼくあずさ (2012-01-19 15:41) 

ぼくあずさ

アルマさん、海を渡るさん、ミュゼさん、xml_xslさん、ma2ma2さん、
rtfkさん
ご来訪とnice ありがとうございます。
by ぼくあずさ (2012-01-19 15:44) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。