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創作短編(30):番外編: 江戸城大奥 -2/8 [稲門機械屋倶楽部]

                                     2011-10 WME36 梅邑貫

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二 大奥の主は誰か

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  大奥の主は将軍の正室で、御台所(ミダイドコロ)とも呼ばれ、今日流に言えば、将軍の正妻です。

徳川幕府歴代将軍の内、複数の正室を持ったのは初代将軍家康の二人、二代将軍秀忠の二人、十三代将軍家定の三名で、他の十二人の将軍の正室は一人だけでした。

少々誤解を招き易い表現になりましたが、複数の正室と言っても、同じ時期に複数の正室を持っていたのではなく、たとえば家康の場合は最初の正室である筑山殿が殺害されたために、秀吉の異父妹である朝日姫を迎えています。これを継室と呼びますが、家康が朝日姫を継室としたのは家康の意思と言うよりは、秀吉に押し付けられたのが真実でありましょう。

二代将軍秀忠の最初の正室は織田信長の次男である織田信雄(ノブカツ)の娘の小姫でしたが若くして病没し、継室として浅井長政の娘のお江与を迎えました。

十三代将軍家定は、公家の娘を正室として迎えて病没され、再び他の公家の娘を迎えてこれも病没され、三人目の継室として迎えたのが島津忠剛の娘で近衛忠煕の養女となった篤姫でした。

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 話が逸れますが、徳川十五人の将軍の内、先代の正室を母親とした将軍は僅かに三人しかいません。先ず、徳川家康は松平廣忠と正室である於大の方の間に生まれています。三代将軍家光は父親で二代将軍秀忠と継室お江与の間に生まれています。しかし、家光は家康と乳母の斉藤福、後の春日局の間に生まれたとの説も有力です。徳川最後の十五代将軍慶喜は水戸の徳川斉昭と正室の有栖川宮織仁親王の第十二皇女吉子との間に生まれています。

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 徳川歴代将軍は誰もが出自の優れた正室を持っていますが、夜を過ごすのは専ら側室とであったようで、十五人の将軍の内、十二名か十三人は側室から生まれています。正室は育ちが良いだけに、身体が弱かったようです。


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あゆさこ

ぼくあずささま
 はじめまして。コメント、ありがとうございました。m(_ _)m
山寺から20分といいましても、なにせ、田舎ですので、車で20分なんですよ!(笑)車がないと、どこへも出られない所なのです。(笑)
 くまらさんが、とても、詳しく山寺を紹介してくださってましたね。近くに住んでいる私としては、近くにある「風雅の里」に寄って欲しかったです。そして、山形名物、「玉こんにゃく」を、食べて欲しかったです。丸いこんにゃくで、串に刺して醤油味、辛子付き、観光地で売られているんです。(^.^)
 なんか、すごい高学歴の方達の難しいブログですね!(..;)理解出来るかわかりませんが、立ち寄らせていただきますね。(*^_^*)

by あゆさこ (2011-10-20 05:36) 

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