創作短編(29):軍神乃木希典 -8/9 [稲門機械屋倶楽部]
2011-10 WME36 梅邑貫
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乃木希典が敬愛して止まない明治天皇が明治四十五年(1912年)七月三十日に崩御されました。
その明治四十五年、既に大正元年と改元されておりましたが、その年の九月十三日に明治天皇の大葬があり、その日の午後八時、乃木希典は古式に則り自刃し、妻の静子も短刀で胸を一突きして夫の後を追いました。
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神あがりあがりましぬる大君の
みあとはるかにをろがみまつる
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うつ志世を神去りしましし大君乃
みあと志たひて我はゆくなり
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これは乃木希典が遺した辞世の歌ですが、妻の静子も次の歌を遺しました。
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出でましかへります日のなしをきく
けふの御幸に逢ふぞかなしき
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乃木希典は妻の静子は後に残ることを期待し、後事は総て妻に託すとの遺言も残しているのですが、乃木希典と静子はまったく同じ想いと価値観を共有していました。
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大正五年(1916年)九月十三日、乃木神社が建立されて乃木希典は軍神として祀られました。乃木希典と静子が住んだ私邸はこの乃木神社の隣りでした。
さらに、京都、山口、栃木、北海道にも乃木神社が建立されました。東京の乃木神社は外苑東通りから赤坂へ向って下る乃木坂に面していますが、この坂は元々は新坂とか幽霊坂と呼ばれていました。それを近辺に居住する者達が「乃木坂」と替えるよう請願して実現しております。
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