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大震災6か月・専門家の反省 -4/5 [明治維新胎動の地、萩]

                                                  by N.Hori 

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住民とのギャップ 認識できず (東北大教授 今村文彦氏)

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地震発生直後、海上保安庁の検潮記録を確認し、大津波がやってくると直ぐに思った。約1時間後、仙台湾に注ぐ名取川を第1波が襲った。その様子をテレビ中継で見て愕然とした。車で逃げようとする人がまだ数多くいて、次々とのみ込まれていった。避難が遅れていた。残念でならず、心から悔しかった。

 一般社会の常識と、我々津波学者の常識とのギャップを埋められなかったことが最大の反省点だと思う。

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 講演会や学校出前講座を月に4~5回、多い時は10回以上開いて、津波防災の啓発活動を行ってきた。「来てくれたから生徒が助かった」と言って下さる方もいる。しかし、結局、それは点でしかなく、広がっていなかった。

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 東北地方太平洋岸を高さ9m以上の津波が襲ったとされるM8.6の貞観地震(869年)が再来する可能性は、10年以上前から指摘してきた。また、この地域で巨大地震が発生した場合の気象庁の想定は最大でM8にとどまるため、貞観クラスの地震が起きたら、想定モデルに基づいた津波警報は過小評価になると懸念していた。そこで、海上の様子をリアルタイムに高精度観測するGPS(衛星利用測位システム)波浪計網を構築し、超巨大津波に備えていた。

.                                                                                                          気象庁が地震発生3分後に出した津波警報の第一報は、宮城県で6m、岩手・福島県で3mだったが、GPS波浪計のデータに基づき20~30分後、宮城で10m、岩手・福島6mと修正できた。沿岸に津波が到達するはるか前のことで、「避難が可能な段階で伝えられた。役割を果たせた」と思った。 

 けれど、実際は避難行動に結びついていなかった。情報の途絶や混乱もあったが、多くの住民は第一報がすべてだと捉えていた。第二報以後も東北地方は過去の三陸地震の経験で、高さ5~10mの防潮・防波堤が整備されており、安心してしまった部分もあっただろう。

 予測津波高を聞かされて、学者はその大きさをイメージできるが、住民たちは決してそうではなかったのだ。

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 津波警報で住民に必要な情報は、波の高さなどでなく、「避難する必要の有無」と「どこへ非難すべきか」に尽きることが、今回分かった。

 地震や津波のメカニズム解明だけでなく、学者にはもっとやることがあると、痛感している。


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