お節介野郎 -8/15 [北陸短信]
.by 刀根日佐志
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五郎は、一歩、店内に踏み込んでいた。だが、逃げ腰である以上「御免ください」と口から出た声は、決して店の奥の調理室まで聞こえる音量ではなかった。奥まで聞こえて店員が出て来て「いらっしゃいませ」と言われることを望んではいない。店員が出て来ないうちに、早く店から出てしまおうとする気持の方が支配的であった。
ならば何故、一度は入店したのかと言われれば「味見してみたい」「いや、それは御免蒙る」の複雑な感情が葛藤していたからである。その時点で、どちらが勝っていたかを問いただすしかない。
五郎は、体の中に住むあのお節介野郎に「俺はカレーハウス『インド』のカレーライスを一度は食べる試みをした」との弁明をしておきたかったのかも知れない。心では半ばホッとして店を出た。
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だが「すいません。店の奥にいたので気づきませんでした。どうぞお入りください」
と店員が追い掛けて来るのではないかと五郎は、足早に店を出た。しかし、胸の鼓動の高まりはしばらく続いていた。
五郎の「いや、それは御免蒙る」の気持は、さらりと断りを入れるという単純なものではなかった。薄気味悪いものには、身も竦むので勘弁してほしいと願うような強いものであった。
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「味見してみたい」との気持と共存するのは、多くの人が、お化け屋敷は怖いが、入ってみたい気もするというのに似ていた。
カレーハウス『インド』の裏手を通り過ぎると、午後の陽を受けて、コック帽を被り白衣を着たインド人と思われる背の高い二人が、壁に寄り掛かっていた。そして、虚ろな表情で煙草の煙を燻らしていた。客が来ない退屈さと、手持ち無沙汰と、苛立ちとで、ついつい店の外に出て休んでいるのであろう。その姿を、五郎はちらりと横目で見て足早に通り過ぎた。
一杯のカレーライスを食わんがためには、すこぶる躊躇し、葛藤し、大いなる決断を必要とする。そして、いらぬ神経を使い、鼓動を高め心臓をも疲労させる。はたまた、溝蓋に躓いて、怪我の危険も身に迫る。カレーハウス『インド』は何と罪作りな店であろうかと、五郎は真顔で呟いていた。
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