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還って来た日々 -18/25 [北陸短信]

                                刀根 日佐志

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          ( 三 )

三郎は大学を卒業すると、東京で就職し郷里金沢から離れていた。時々、中杉和子先生を囲んで同窓会をしていることを知らなかった。先生のことすら忘れてしまっていた。三郎は定年前の五十七歳で脱サラして、妻の出身地富山へ移り住み、小さな商社を経営するようになった。

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時折、郷里金沢へ帰る用事があり、金沢駅前の喫茶店でナミと会う機会ができた。

「ナミ、元気そうだな。お前も変わらんな。まだ、元の仕事を続けとるんか」

 顔のしわが少し目立って見えたが、ナミは昔のままである。

「サブも変わらんちゃ。わしはいまも鉄工所を続けとるがや」

「ところで、小学校の同級生は、みなどうしとる。知りたいなあ」

「このあいだ、同窓会があったんや。中杉先生もみんな元気やちゃ!」

落ち着いた喋り方で、途中で唾を飲み込むと話を続けた。

「今度、同窓会を開くとき、サブにも連絡するよう幹事に話しとくちゃ」

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しばらく後、富山の三郎の所へ同窓会の幹事から連絡が来た。案内には、先生からの手紙も同封されていた。

「中杉先生ですよ! もう皆さんと教室でお会いしてから、五〇年近く時が経過しました。皆さん方も来年は、還暦になるでしょう。私は古希を迎えました。現在は元気でいますが、もうあと何度お会いできるでしょうかね。皆さんの懐かしい顔を見たいと思います。皆さん今度の同窓会には、必ず出席してくださいね」

太平洋戦争の敗戦直後に中杉先生は、諸川小学校に赴任した。そこでクラス担任となり、貧困にあえぎ一生懸命に生きている生徒たちを、先生の実家に招き御馳走などして、温かい目で見守っていた。だから、なおさらに先生は当時の生徒を懐かしく想い、同窓会で会いたがっていたように思う。

 三郎は小学校時代の中杉クラスの同窓会に、初めて参加することになった。金沢の奥座敷と言われる湯涌温泉の永楽館へ、車で向かった。晴れていた四月の空は、爽やかに澄んで、清らかな空気を透して新緑の医王山の稜線を、くっきりと見せた。

遮るもののない昼間の陽光が、緑の森に満ちた空気を暖かく包みこんでいた。まだ明るさの残る日暮れ前より、その暖気がそっと抜け出てきて、程よい温もりで肌を心地よく撫でてくれるようである。開けた車の窓を吹き抜けていく春風は、森の香りをも含むような感じがする。


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