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創作短編(25):雪華図説 -4/7 [稲門機械屋倶楽部]

                                     2011-07 WME36 梅邑貫
 

  土井大炊頭利は天保三年(1832年)に「雪華圖説」を出版したのですが、それに早くも目を留めたのが衣服を商う商人達で、最初に世に出たのが浴衣です

 白生地の浴衣に、六角形の雪の結晶が大きく淡い青色で染め抜かれ、如何にも涼しい風情を漂わせる模様で、爆発的に流行ったそうです。

 しかし、土井大炊頭利位が描いた雪の結晶は単なるデザインの領域をはるかに越えており、雪の結晶が一つずつ異なることと、正確な六角形をしていることを発見し、それを図鑑としてまとめたのが「雪華圖説」で、今日で言う科学図鑑でした。

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「殿、虫メガネは差障りございませぬか」

 当時、顕微鏡をムシメガネ(虫めがね)と呼び、老眼鏡もメガネですが、靉靆(アイタイ)と呼ばれました。あまり知られておりませんが、江戸時代の日本では未だレンズの生産が出来ず、老眼鏡としての靉靆は長崎出島のオランダ商館にとって本国から日本へ輸出する大切な商品であり、その中に少数ではありますが、顕微鏡もありました。

「十郎兵衛に長崎の甲比丹(カピタン)より買い求めてもろうた虫メガネ、さすがによう出来ておる。まだまだ使えるぞ」

「殿の御所望とあらば、カピタンが新しき虫メガネをいつでも届けまする」

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 オランダ語では商館長をオッペルホーフト(Opperhoofden)と称するのですが、日本ではポルトガル語のカピタンが定着しました。元禄四年(1561年)にポルトガルが長崎の平戸に商館を開き、その後、天正十二年(1582年)にイエズス会の宣教師が来航してイスパニア(スペイン)商館を開き、慶長十四年(1609年)にはオランダも商館を開きました。しかし、その商館長の呼称は最初のポルトガル語である「カピタン」が踏襲され、日本語では甲比丹、甲必丹、加比丹と書きました。


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