SSブログ

ビルマ行 -6/9 [和田の泊りより]

                                                                               .by 月川善雄

.

済んでみればこのように笑い話になるのだが 事実は良く判らないがこの裏には陰で動いて呉れた日本人がいたようだ。それは住友商事の顧問格で高橋さんという方がおられたのだが この方が実は元中野学校出の特務機関員でビルマ独立の影の立役者として働かれた方だそうで、当時のネ・ウィン首相などともツーカーの間柄だったとのこと。立場上表に出られることは無かったが 噂ではこの方が首相辺りに「余り酷いことをするなよ」と囁かれたのではないかとのことだった。当時は未だ小野田さんも見つかっておらず中野学校はすごいなと思ったものだが 後でこのような人脈が水面下にあるのだなと感心した。 (高橋中尉については 畠山清行著 陸軍中野学校の中に記述がある)

.

当時はコピーマシンもファックスも無く日本とのやり取りの唯一の手段は電報だったし、レポートも薄紙を重ねてカーボン紙を敷いてコピーを作った。因みに、手紙や書類に良く使われる「写し」のc.c.Carbon Copyの略である。客先と打ち合わせた結果を電報で打ってしまうと返電が来るまでは暇なのでラングーン市内を見物した。

.

  シュエダゴンパゴダ:ラングーン市内一番大きいパゴダで市内の何処からでも見える。階段の回廊を登って境内に入る。遠くから見るとこの回廊の屋根はえび茶色の美しいものだったが近くへ寄って見ると単なるペンキ塗りのトタン屋根である。境内というかパゴダの周辺は大理石が敷き詰められており見た目には非常に美しいのだが裸足で参拝しなければならない。靴を脱ぎ、靴下も脱いで参拝するのだが雨上がりのこととて大理石は濡れており又ライ病患者が多いとも聞いていたのでなんとも気持ちが悪かった。みな売店で売っている金箔を買ってパゴダに張り付けてお祈りをしている。これがどういうご利益があるのかは判らないがこちらの風習らしい。

.

•  夕刻、街中を歩いていると楽隊が派手な音楽を鳴らしており時折合いの手に銅鑼がジャーンと鳴る。何事かと思って近寄って見るとこれが葬式なのだ。余り湿っぽくならないでこれも良いなと思った。

.

•  すき焼きを食べさせる店があると言うので行ってみると中華料理店で、出てきた物は真ん中に煙突がある所謂火鍋子でシャブシャブみたいな物が出た。他にも燕を焼いて縦半分に切った物も有ったが燕も断面表示されると余り気持ちの良い物ではない。


nice!(5)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

nice! 5

コメント 2

大嶋

CarbonCopy, 私も1964年NYの長期滞在中CCでReportを東京に送りました。 最初一か月先輩京大の方と一緒でしたが、間違うことなくなく一気に筆を進めて書いていました。 私はというと、原稿を作っていたにもかかわらずよく修正しました。 一枚目の方だけ丁寧に修正しましたが、いかにも汚いReportになりました。 頭の良し悪しを認識させられた瞬間でもありました。 今は本当に便利です。 ただ修正が余りにも安易にできてその弊害もあります。
by 大嶋 (2011-07-18 03:08) 

村尾鐵男

Carbon Copy とは懐かしい言葉です。
インドネシアのホテルで報告書を書き、透けて見えるようになったカーボン紙をゴミ箱に捨てておくと、部屋を掃除してくれるメイドが、丸めたカーボン紙を綺麗に伸ばして机の上に戻してくれます。
カーボン紙を日本人が好きな海苔と勘違いして、勿体無いとのと思いから戻してくれるのです。
by 村尾鐵男 (2011-07-18 07:24) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。