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汽車会社大阪製作所のディーゼル機関車 [和田の泊りより]

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西島さん

先日は住友金属の見学の帰りに汽車会社のそばを通ったとのメールを頂きましたが、現在では郵便局と佐川急便の大きな倉庫に生まれ変わりまた住金も一部を隣接するユニバーサル・スタジオ・ジャパンに売却するなどあの界隈も昔の面影は全く残っておりません。

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ところでこの汽車会社大阪製作所ではディーゼル機関車を作っていたのですが輸出用にはドイツフォイト社のトランスミッションを使っており それを扱っていたのが富士電機さんで色々御世話になっていました。(水力発電等で同社とは関係が深かったのでしょうね)

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西島さんは直接はタッチされてはおられなかったと思いますがその後東南アジア向けに輸出が拡大するにつれ国産化をお願いし同社と技提でトランスミッションを作って頂いた事があり、試作機が完成した時には一度だけ川崎の工場に御邪魔したこともありました。

これらのトランスミッションを積んだ機関車はマレーシア国鉄、ビルマ国鉄に輸出され、初期にはボルトの脱落等マイナーなトラブルもありましたがその後は順調に運転されておりました。

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もう40年以上も昔の話ですが特にビルマ向けの機関車は受注のネゴ段階から関係していたので特に印象が強く、またビルマは台湾と同じく非常に親日的な国だったので、最近では韓国、中国に安値で市場を奪われているのが非常に残念です。

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時々懇の皆様には以前お見せしたのですが、ビルマへ出掛けた時の旅行記を参考までに御目に掛けます。

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国鉄でも動力近代化(無煙化)ということで我々が社会に出た前後からディーゼル機関車が増産されたのですがこちらのトランスミッションは純国産というかフォイトのコピーのようなものを藤井さんのおられた日立(亀有)、川重(明石南)で作っていました。

                                                     月川善雄

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ぼくあずさのComment

機械科恒例の工場見学旅行は名古屋のトヨタから長崎の三菱造船所まで9泊10日の日本を代表する会社を訪ねるもので、何処でも大歓迎を受け、到る所で戦後復興への産業界の熱気を感じました。1960年3月、大学三年の時です。


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村尾鐵男

WMEを卒業後、それぞれが就職し後の昭和37年か38年、月川さんを大阪の職場へ訪ねたことがあります。たまたま天保山から関西汽船で四国へ向かう途中でしたが、確か安治川と言う駅で降りて、直ぐ向かいに汽車会社の工場がありました。
社員食堂で月川さんから昼食を御馳走になりました。あれから50年ほどが経ちましたが、御馳走を有難うございます。
当時の社員食堂は何処の会社も同じようなものですが、汽車会社の社員食堂で一つだけ驚かされたことがありました。箸は社員持ちで、カウンターに割り箸が置いてなかったことです。私は東京から箸を持参していないので、どうやって食べたか覚えていないのですが、おそらく月川さんが割り箸を用意して下さったはずです。重ね重ね有難うございます。
by 村尾鐵男 (2011-07-09 09:28) 

ぼくあずさ

住金さんでの食事、噛み切れず残した肉(クジラ?)が強烈な
印象です。土地柄かと思いましたが、FD入社後に神戸製鋼に
出張すると山の手にある洒落た会社施設で会食でした。それで
、住金大阪の食事は謎のままです。
by ぼくあずさ (2011-07-09 09:58) 

ぼくあずさ

月川さん
FD製品をお使いいただきありがとうございました。私の職場の隣りの水力
設計課が担当していました。当時作業研究課にいた太田(秀)さんは知っているかも知れません。東海村に英国コールダーホール型原発を主契約
会社として建設中で、川崎工場はとても活気がありました。
by ぼくあずさ (2011-07-09 18:17) 

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