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創作短編(23):遠浦帰帆圖と豊臣秀吉 -3/8 [稲門機械屋倶楽部]

                                      2011-06 WME36 梅邑貫

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「官兵衛、これで一段落じゃのう」と、山崎の合戦を終えて、羽柴秀吉は軍師の黒田官兵衛に語り掛けました。

「何を言われまするか、殿」

「何じゃ、まだ何かあるのか。官兵衛は煩いのう」

「殿を思えばこその煩い官兵衛でござりまするぞ」

「いや、済まん、済まん。ところで何じゃ」

「織田家の跡目を如何されまするや」

「おお、そうであったのう。だが、決まるように決まるじゃろう、なあ、官兵衛」

「殿、ちとは頭を働かせねばなりませぬぞ」

「何を申すか。頭を働かせるは、官兵衛、そちの役目ぞ」

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 秀吉は天文六年(1537年)に生まれ、このときは四十六歳、一方の官兵衛は天文十五年(1546年)の生まれで三十五歳でした。しかし、出自がよく判らぬ秀吉に対して、黒田官兵衛は播州の雄と言われた小寺政職(マサトモ)に仕えて姫路城代も務めた黒田重隆の孫で、幼い頃から書を読むことを楽しみとし、織田信長もその才を褒めて一万石を与え、秀吉の与力となったのは天正八年(1580年)です。

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「殿は、頭を働かせるのは好まれませぬか」

「官兵衛、きついことを申すではない。早う先を申せ」

「はい。その前に、殿は織田家の事実上の跡目を継ぎとうはござりませぬか」

 度胸では誰にも負けない秀吉も、官兵衛の一言を誰かに聞かれてはいないかと思わず周囲を見渡しました。

「左様な大事、もそっと小声で申せ。だがな、官兵衛、わしは元は木下藤吉郎、戦国の世でなくば、今でも畑仕事の身よ。畏れ多いことじゃ」

「いや。戦国の世なればこそ、殿の道は拓けますぞ。しかしながら、当人が望まぬとなれば、この官兵衛の頭も働きませぬ」

「官兵衛、頭を働かせてくれ」


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hanamura

すでに大事を成した人の欲得勘定がぁ…こんな会話は無いでしょう。
とは、思いますがぁ…続きが、よけいに楽しみです。
by hanamura (2011-07-02 22:35) 

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