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創作短編(22): 遠浦帰帆圖と織田信長 -1/8 [稲門機械屋倶楽部]

                                      2011-06 WME36 村尾鐵男

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時     :天正十年(1582年)六月二日

場所    :本能寺

登場人物 :織田信長、神屋宗湛、その他

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 天正十年(1582年)六月二日未明、織田信長は宿泊していた京都の本能寺を明智光秀とその軍勢に襲われ、信長自身も槍を手に戦いましたが、矢で撃たれ、槍傷も負い、本能寺にも火を放たれ、「最早、これまで」と自刃しました。

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 ここまでは教科書にも記述される定説であります。しかし、よく考えてみると首を傾げることが多々あります。一つ一つ謎解きを試みましょう。

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 先ず、何故、織田信長は本能寺に泊まっていたのでしょうか。又、織田信長と本能寺は如何なる関係にあったのでしょうか。

 本能寺は現在も京都市内に在りますが、織田信長の時代の本能寺は、同じ京都ではありますが、直ぐ近くの別の場所に在りました。

 本能寺は法華宗の寺で、あまり知られていないことですが、当時から種子島での布教に力を注いでおり、ここに本能寺と織田信長を結ぶ鉄砲の存在が浮かび上がります。 織田信長は数ある戦国武将の内でも、逸早く鉄砲の効能を認めたことで知られておりますが、信長は本能寺を鉄砲と弾薬の調達拠点として、又、その保管庫として活用していたと推測されます。

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 次に、この天正十年六月二日に、何故、織田信長は京都の本能寺に泊まっていたのでしょうか。

「此度は祝いであるぞ。ようやくにして武田を亡ぼし、朝廷より、三職いずれを所望するかと問われておる。皆、存分に楽しめ」と、信長が申し渡したように、この年の三月十一日、武田勝頼が自害して、織田信長にとって永年の宿敵であった武田が亡び、織田信長の念願が叶った戦勝の祝いでありました。


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吉之輔

こんにちは、当時の歴史には興味を持ってますが、いい勉強に
為りました、有難う。
ご訪問&コメント有難う、此れからも宜しくね。
by 吉之輔 (2011-06-27 11:37) 

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