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創作短編(19):県犬養三千代 -4/8 [稲門機械屋倶楽部]

                                        2011-05 WME36 梅邑貫

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   藤原京は天武天皇のときに着工され、持統天皇が即位する持統四年(690年)からは造営工事が促進されて、四年後の持統八年(694)に完工した

三千代が持統天皇から呼ばれて高御座の前に伺候したのは新たな藤原京へ飛鳥の浄御原(キヨミハラ)宮から遷都して暫くが経ってからのことである。

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尚、藤原京の呼称は後年になって学術的に命名されたものであり、日本書紀では新益京(アラマシのミヤコ)と呼んでいる。又、天皇の居住域は藤原宮と呼び分けられている。それ以前の浄御原宮は現在の奈良県明日香村飛鳥に在り、藤原京は現在の奈良県橿原市であり、藤原京は後に平城京へ移るまでの十六年の間、我が国の政治の拠点であった。浄御原宮、藤原京、平城京は南北にほぼ一線上に位置し、藤原京から見て、浄御原宮は南へほぼ4km、平城京は北へほぼ20kmである。

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「三千代には、確か、三人の子があったのう」

「はい。葛城王(カツラギのオオキミ)、佐為王(サイのオオキミ)、牟漏女王(ムロのオオキミ)の三人でございますが、長男の葛城はやっと十歳を越えたばかりでございます」

「皆、健やかに育っておろうな」

「はい。お陰様をもちまして」

「それは良いこと。実はな、三千代」

「はい」

「不比等には三人の妻がおるのだが、美千代は存知おるかな」

「はい、三人の女御様をお持ちとは聞いておりますが、一人一人につきましては存じ上げておりません」

「そうでありましょうな。実はな、その内の一人が亡くなったのじゃ。私には不比等が報せて参ったのだが、三千代は知っておったか」

「はい。噂で耳にしておりました」

「噂は翼を持って飛び廻るようじゃな。美千代も存じておったか」

「はい」


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