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創作短編(17) 大久保利通暗殺と大隈重信 -6/8 [稲門機械屋倶楽部]

                                        2011-04 MWE36 梅邑貫

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 紀尾井坂の呼称はこの場所に徳川幕府を支える紀州徳川家、尾張徳川家、井伊掃部頭(カモンノカミ)の下屋敷が並んでいたからですが、明治維新後は北白川宮能久(ヨシヒサ)親王邸と公卿の壬生基修(ミブ・モトオサ)邸が向かい合っておりました。

 楠木誠一郎氏の著書によると、この日の朝六時に福島県令山吉盛典が大久保利通の私邸を訪ねて安積(アサカ)疎水の開削事業について話し合い、さらに大久保利通は持論の「三十年計画」を熱を込めて伝えたそうです。

「わしの三十年計画とは、明治元年より三十年まで三つに分け、最初の十年の第一期は創業期でごわす」

「その第一期は既に成就致しましたな」

「左様。明治は立派に創業されてござる」

「次の十年、第二期は」

「明治二十年までの十年は、これは内治整理、殖産興業、富国強兵に邁進する十年となりますぞ」

「第三期は如何で」

「第三期、それはもうわしの時代ではあるまい。若き後継の者達に委ね、明治の御世を立派に創り上げてもらう」

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 この後、午前八時頃に大久保利通が乗る馬車は二頭の馬に牽かれて私邸を出発しました。

 そして紀尾井坂に達したとき、前方に二人の書生風の男が道路の掃除でもしているかの如く現われました。この二人は長連豪と脇田功一ですが、馬車に乗るのが大久保利通であることを確めるために路上に現われたと思われます。

 馬車が停まり、道を開けるよう言うべく馬丁が馬車から降りた途端、長連豪が短刀を抜き、さらに近くの草叢から島田一郎と浅井壽篤、杉村文一、杉本乙菊の四名も躍り出て、一斉に短刀を振りかざして大久保利通に跳びかかり、大久保利通は「無礼者」と一喝しますが、馬車から引き摺り下ろされ、頭部に六箇所もの傷を受けて絶命しました。


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コメント 6

ばん

国立演芸場から遠くないので行って見た事がありますが
また見てみたい場所でもあります。
by ばん (2011-05-11 11:33) 

ぼくあずさ

安積疎水は日本三大疏水だそうです。2004年に2230KWの水力発電機に更新されています。開拓は士族の反乱を防ぐ目的もあり、徳川さんゆかりの静岡にも朝霧高原開拓があります。徳川時代の遺産が無ければ、明治新政府の改革は達成できなかったのに、徳川さんの名誉回復が議論されるべき。逆に福島、静岡の人々を苦しめる現政権は、平成の高杉晋作を自称する菅氏だからなのでしょか?
by ぼくあずさ (2011-05-11 12:24) 

つぼぼん

私には難しすぎる内容のブログですが
たまに訪問させていただき勉強させて
頂きます。
by つぼぼん (2011-05-11 13:39) 

袋田の住職

安積疎水は連れ合いの実家を潤しています。
水田もそうですが、キュウリもその水の恵みによるところが大きいです。
水力発電のエネルギーもすごい量ですね。
by 袋田の住職 (2011-05-11 16:09) 

梅邑貫

アルマ さん、ばん さん、つぼぼん さん、袋田の御住職、rtfk さん、
sun-high さん。
皆様から "Nice" とコメントを頂戴し有難うございます。加えて、私には大いに励みになっております。ぼくあずさ氏からもコメントを頂戴していますが、まあ内輪の方ですから・・・。

島田一郎の斬奸状には、巨大な土木事業で国費を浪費して云々、とありますが、安積疎水が良い実例で、100年以上の経った今日でも恩恵を受ける者が大勢いますから、まさに国家百年の計です。政治はその場の思いつきでは駄目なことの実証例でしょう。
大久保利通が襲われた辺りは、今でも諸々の遺跡や石碑が残されていて、歩く度に立ち止まることの多い場所です。

「創作短編」の御愛読を感謝します。
by 梅邑貫 (2011-05-11 18:09) 

梅邑貫

hanamura さん、Live さん、
Nice を有難うございます。いつもの御愛読を感謝します。
by 梅邑貫 (2011-05-11 22:00) 

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