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漢詩の背景 -1/4 [稲門機械屋倶楽部]

                                      2011-05 WME36 村尾鐵男

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 今まで、孔子の論語に始まり、杜甫と李白の詩まで解説を試み続けました。しかし、漢詩の背景となる部分については何もお話ししていなかったと気着きました。漢詩を中断して、漢詩を詠んだ大勢の詩人を育んだ中国の社会的背景について書かせていただきます。

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科挙と進士

 優れた詩の作者が進士であると幾度も書きました。進士とは科挙の試験の内で最も難関な資格でありました。科挙は隨朝の西暦598年から始められ、途中、宋朝の時代に大きな改変を受け、又、元朝時代には中断したこともありましたが、最終的には清朝が終焉する西暦1905年まで続きました。

 科挙は現代流に言えば公務員登用試験、或いは高級官僚の選抜試験であり、科挙の「科」は科目を、「挙」は選挙を意味しますが、この選挙は中国語で選抜を意味します。

 科挙には、そもそもの始まりの頃には六つの科目がありました。即ち、秀才、明経、明法、明算、明算、進士の六種類で、この内、最高位の進士の試験には詩の作成が義務付けられていたため、漢詩の名作には進士が詠んだものが多くあります。

  遣隋使や遣唐使を派遣して隋や唐の律令や書籍文物を持ち帰って習得した我が国もこの科挙の制度を平安時代に採り入れましたが、実態は中級貴族が高位の貴族へ登るための制度であり、又、高位の貴族の子弟にはその能力を問わずに官位が与えられる世襲制度が強く、科挙制度の真の目的が失われて、制度としてはいつの間にか衰退しました。

 しかし、明治維新の後に似たような制度が復活しました。それは戦前まで続いた高等文官試験、俗に言う高文試験でありました。しかし、この高文試験は中国古来の儒学に基づくのではなく、近代の西洋文明に依拠しました。

 科挙の弊害は諸々指摘されておりますが、後述するように、科挙の試験は誰でも受けることができ、合格すれば官人としての栄達の道が拓けました。しかし、日本では科挙の真の目的が我が国特有の世襲制度で潰されてしまいました。


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コメント 2

シラネアオイ

「明書」ですね。
by シラネアオイ (2011-04-27 07:51) 

hanamura

 我が国特有の世襲制度?我が国はいろいろ隠すからなぁ…。塩野七生さんの古代ローマの方が、理解し易い日本人に生まれてしまった。
by hanamura (2011-04-27 20:13) 

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