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土葬 [日本人とは]

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東北大地震で多くの方が、主に津波に襲われ命を絶たれた。                自衛隊、米軍、地元消防団などの懸命の捜索にも係らず,未だ多くが行方不明になっておられる。発見されたご遺体は、約1500人の歯医者が遺族にご遺体を返したいとの使命で働いている。

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火葬場が津波で破壊され、急ぎ山林を切り開いて330人分の埋葬地を確保した南三陸町では、土葬に遺族が応じないと云う。震災で心ならずも命を絶たれた肉親を、その土地で昔からのやり方で、ご遺体を埋葬し供養したいと望むのは、至極自然なことです。万難を排し、解決策を見出して欲しい。

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私の縁故疎開先の都下西多摩郡旧増戸村では、戦後しばらく、土葬であった。部落の若者が輪番で墓穴を掘る役目を負った。これこそ、強い共同社会意識を親子代々受け継ぐ宗教作務。新たに埋葬された墓は土が盛られ、雨上がりは燐が燃える様は忘れられない記憶です。

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都が土葬を禁じ、火葬になった今でも、遺骨は骨粉も含め全てを骨つぼに納め、すぐに納骨するのは、土葬の名残だと思われます。

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20年ほど前にドイツ語教師のMargareteの義父の墓を訪ねた時、土葬が普通だが、貧しい家族は墓面積が少なくて済む火葬にすると説明されました。戦場で倒れたドイツ兵は、その地に埋葬され、遺骨を持ち帰らないと聴いていましたが、その信憑を確認し忘れました。

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日本人は基本的に遺骨を持ち帰るのですが、旧帝国海軍は船上で亡くなった遺体は水葬したと聴いています。これは、止むえないことです。

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土葬に応じる遺族なし 宮城県南三陸町、対応苦慮(2011-03-20

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110320/dst11032018020069-n1.htm 

立命館大教授・加地伸行 土葬をめぐる意外な議論

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110415/dst11041503080005-n1.htm

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追記: 石巻市から悲しい知らせが届きました。

実家の材木屋で働いていた漁師の息子2人を探し続けておりました。

その一人から電話があり、妹さんが津波の犠牲になりました。

遺体安置所にある1500体から2週間後に確認された。土葬後2年経過

しないと火葬できず、墓に葬ることができない。これが、親族が土葬を拒否する理由であることに気づきました立命館大加地伸行教授の説は遺族の気持ちを理解しない空論であることが判る。


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ぼくあずさ

rtfkさん、Liveさん
ご訪問、nice ありがとうございます。

袋田の御住職さま
駄文をお読み頂き、恐縮いたしております。
貴袋田の地は、遅い桜の訪れの頃かと存じます。
by ぼくあずさ (2011-04-16 01:52) 

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