創作短篇(9): 初の偽造外交文書 -5/6 [稲門機械屋倶楽部]
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「上様が辞めると申されてのう」
「何をお辞めになられまするか」「決まっておるではないか。将軍職を朝廷へ返上されると申されおるのじゃ。畏れ多いが、それがしより見れば、孫のようなお方であるからのう」
山口駿河守は絶句した。武士として最高の位階である征夷大将軍は延歴十三年(794年)、大伴弟麻呂(オオトモノアトマル)が征夷大将軍の節刀を朝廷より授かったのが始まりであり、征夷大将軍の政権は建久三年(1192年)の源頼朝に始まる。それ以来、征夷大将軍を自ら辞めると言った者はいない。
「それで、伯耆守様、京では如何相なっておりますか」
「うん。一橋慶喜殿も懸命に宥められ、上様の御一言には朝廷も驚かれたようでな、条約は差し支えなし、されど兵庫開港は認めずとの勅許と相なった」と言って、松平伯耆守は懐から一通の定書きを取り出し、山口駿河守に見せた。
「伯耆守様、それがしより既に京に在られるお方々にお伝え申しておりまするが、十六日に九隻の外国軍艦が兵庫沖に参ったおり、条約締結と兵庫開港を七日以内に決めよと、それはそれは高飛車なる求めにござりました。それを、微力ながらもそれがしが掛け合うて十月七日まで延ばしておりまする」
「そうであったのう」
「左様にござりまする。されど、この定め書きは仮のもの。このままパークス殿やロッシュ殿に手渡せるものではござりませぬ。それに、兵庫開港、まかりならぬと申せば、あの軍艦を淀川に乗り入れて京まで参り、天子様と直談判をせんとの勢いにござりまする」
「それはならんぞ、山口殿」
「勿論、承知仕っておりまする」
「なれど、如何にすればよいのじゃ」
山口駿河守は再び絶句した。松平伯耆守の今の一言は、本来なら外国奉行である自分から上役の老中である松平伯耆守に向かって発せられるものである。
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