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寒山寺の梵鐘 -4/4 [稲門機械屋倶楽部]

                       2010-12-23 WME36 村尾鐵男

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姑蘇寒山寺、歴劫年久、唐時鐘聲、空於張繼詩中傳耳

嘗聞寺鐘轉入我邦、今失所在、山田寒山捜索尽力

而遂不能得焉。乃將新鋳一鐘斎往懸之。  伊藤博文

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 この文は詩ではなく、寒山寺にある碑文の文章で、最後に伊藤博文の名があることに注目して下さい。

 私達にはまことに不可解なことですが、寒山寺の梵鐘がなくなったのは倭寇(日本人)が盗んだからだとの説が清朝末の当時の中国で流布されたそうです。

 伊藤博文はこの噂を心配し、曹洞宗の僧であり篆刻家でもあった山田寒山に日本全国を調べさせて、日本に寒山寺の鐘がないことを確認し、一方で寄金を募って新しい梵鐘を鋳造して、大正五年(1914年)に寒山寺へ寄贈しました。

 そのときに山田寒山の望みで伊藤博文が書いたのが上記の碑文ですが、大意は〈蘇州の寒山寺、唐の時代から長く鐘の音を響かせ、張繼の詩にも詠われた。かつてその鐘が我が国に運ばれたと聞き、今はその所在が判らず、山田寒山に捜させたが、遂に発見できなかった。そこで新しい鐘を鋳造してこれを懸ける。伊藤博文〉となります。

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 私も仕事で蘇州の近くをよく通りましたので、寒山寺にも幾度かお参りをしており、この伊藤博文の碑文も読んでおります。

 しかし、寒山寺は中国観光の人気コースの一つでありながら、中国人ガイドは寒山寺の梵鐘の一つが百年ほど前に日本から寄贈されてものであることや伊藤博文の碑文があることを知ってか知らずか、日本人観光客に語ることは滅多にないようです。

 又、大晦日のNHK「往く年、来る年」でも、この事実を伝える放送を私は聞いたことがありません。おそらく私だけが聞き落としているのだろうと思いますが、もっと大勢の日本人が知っていてもよいと考えられますので、NHKは幾度も伝えるべきでしょう。

                                                 (了)
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ぼくあずさ

村尾さん 通訳も連れず、一人で蘇州を訪ねたことがあります。観光地である為か、皆さん親切、いや親切の押売りの普通の中国人もいて、とても尖閣の中国政府の日本侵略政策とは程遠い感じがしました。
寒山寺の鐘楼に登り、記念に鐘を突きました。伊藤博文の梵鐘寄贈の件は知りませんでした。鎌倉建長寺の半僧坊への石段の手前左に最近、「楓橋夜泊 張繼」の石碑が建ち、違和感を覚えたが、ひょっとして日本人僧「山田寒山」は臨済宗大本山建長寺でも修業したことがあるのか、と思いました。
by ぼくあずさ (2010-12-26 12:12) 

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