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陶淵明、自然を詠う -2/7 [稲門機械屋倶楽部]

                                                         2010-12-07 WME36 村尾鐵男

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  陶淵明を語るときに、「帰去来の辞」を省くことはできません。序文も含めて極めて長文でありますが、お付き合い願って、先ずは「序」から始めます

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 余家貧、耕植不足以自給。幼稚盈室、瓶無儲粟、生生所資、

未見其術

親故多勸余爲長吏、脱然有懷、求之靡途。會有四方之事、

諸侯以惠愛爲徳

家叔以余貧苦、遂見用于小邑。於時風波未盡、必憚遠役、

彭澤去家百里

公田之利、足以爲酒、故便求之。及少日、眷然有歸歟之情

何則、質性自然、非矯勵所得、饑凍雖切、違己交病。嘗從人事、

皆口腹自役

於是悵然慷慨、深愧平生之志。猶望一稔、當斂裳宵逝。

尋程氏妹喪于武昌

情在駿奔、自免去職。仲秋至冬、在官八十餘日。因事順心、

命篇日「歸去來兮」

乙巳歳十一月也。

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歸去來の辭 序

 余、家貧しく、耕植するも以て自ら給するに足らず。幼稚 室に盈(ミ)ち、瓶(カメ)に儲粟(チョゾク)無く、生を生む所の資(カテ)、未だ其の術(スベ)を見ず。

親故多く、余に長吏爲(タ)らんと勸(スス)め、脱然(ダツゼン)として懷(オモイ)有り、之を求むるに途(ミチ)靡(ナ)し。會(タマタマ)、四方の事あり、諸侯、惠愛を以て徳と爲(ナ)し、家叔(カシュク)、余の貧苦なるを以て、遂に小邑(ショウユウ)に用いらる。時に風波、未だ盡(ツ)きず、必、遠役(エンエキ)を憚(ハバカ)り、彭澤(ホウタク)、家を去ること百里、公田(コウデン)の利、以て酒を爲(ナ)すに足り、故に便(スナワ)ち之を求む。

少日に及びて、眷然(ケンゼン)と歸らん歟(カ)の情あり、何んとなれば則(スナワ)ち、質性の自然、矯勵(キョウレイ)の得る所に非ざれば、饑凍(キトウ)切なると雖(イエ)ども、己(オノレ)に違(タガワ)ば交(コモゴ)も病(ヤ)む。

嘗(カツ)て人事に從うは、皆、口腹、自ら役(エキ)せり。是(コ)こに於いて、悵然(チョウゼン)として慷慨し、深く平生の志を愧(ハ)ず。猶(ナオ)も望むは一稔にして當(マサ)に裳(ショウ)を斂(オサ)め宵に逝(ユ)くべきを。

尋(ツ)いで程氏の妹を武昌に喪(ウシナ)い、情は駿奔(シュンポン)にありて、自職を去る。仲秋より冬に至るまで、官に在ること八十餘日。事に因り心に順(シタガ)い、篇を命じて「歸去來兮」と日(イ)う。乙巳(イツシ)の歳十一月なり。

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「家叔」とは叔父のことで、「一稔」は一年、「程氏妹」は程家へ嫁いだ陶淵明の異母妹です。乙巳歳は西暦405年です。


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