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三体詩 -1 [稲門機械屋倶楽部]

                                      2010-11-05 WME36 村尾鐵男

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三体詩は正しくは三体唐詩ですが、唐詩選と共に、かつて我が国の教養人にとっては必修必読の書でありました。

三体とは五言律詩、七言律詩、七言絶句のことを意味し、唐王朝時代に遺された無数とも言える詩の中から宋の時代に厳選されたのが三体唐詩です。

先ず、私達がよく知っている言葉が出て来る詩から始めましょう

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曹松「己亥歳」(キガイサイ)

澤國江山入戰圖 生民何計楽樵蘇 憑君莫説對候事 一將功成萬骨枯

〔澤國江山(タクコク・コウザン)戰圖(セント)に入る。生民(セイミン)何の計(ケイ)あってか樵蘇(ショウソ)を楽しまん。君に憑(ヨ)って説くこと莫(ナ)かれ封候(ホウコウ)の事。一將(イッショウ)功(コウ)成(ナ)って萬骨(バンコツ)枯る〕

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曹松(ソウショウ)は舒州(ジョシュウ)の出身で、この舒州は今も安徽省に同じ地名で残っています。曹松の生年は830年ですが、没年は不詳です。しかし、晩唐の光化年間(900-904年)に進士に合格しており、このとき曹松は70歳代になっておりました。

「己亥歳」とは干支の年号で、西暦875年のことで、黄巣(コウソウ)の乱(875-884)が起きた年です。王朝の専売品であった塩の密売で財を成した黄巣が、同じく塩の密売業者であった王仙芝と共に起こした黄巣の乱は、一時は黄巣が王を称するほどに激しく勢いのある乱でしたが、仲間の裏切り等で消滅しました。

澤國江山とは沼沢と川と山の一帯を言うのですが、おそらく曹松の出身地である安徽省の舒州を指していると思われます。その故郷が黄巣の乱で戦場になってしまい、その戦場に住む者は空しく木を切り草を刈っているだけだと詠み、続けて、勝ったからと言って、王になると言うな。一人の武将が戦功を挙げる陰で、万を数える兵が死んでいるではないかと詠んでいます。

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最後の「一将功成って万骨枯る」は今日でも遣われる言葉です。話題の多い政治の世界でも官僚の世界でも、又、企業組織の世界でも、一人の者が頂点に立つ陰で大勢の者が、その頂点に立った一人の者を援けたにもかかわらず、その他大勢の中に埋もれて静かに去るのが現実です。

特に、著名な政治家が法に反することを行い、本人が直接手を下さなかったからとして起訴されなくても、秘書が次々と罪に問われて獄に下ることは今でもよくあることで、まさに「一將功成萬骨枯」です。

(2)に続く


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