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十八史略 -12 [稲門機械屋倶楽部]

               2010-10-21 WME36 村尾鐵男

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「四面皆楚歌」

 羽夜聞漢軍四面皆楚歌、大驚日、漢皆已得楚乎。何楚人多也。起飲帳中命虞美人起舞。悲歌慷慨、泣數行下。其歌日、力抜山兮気蓋世。

不利兮騅不逝。騅不逝兮可奈何。虞兮虞兮奈若何

〔羽(ウ)、夜、漢軍の四面(シメン)、皆楚歌(ソカ)するを聞き、大いに驚きて曰く、漢皆已(スデ)に楚を得たるか、何ぞ楚人の多きや、と。起(タ)って帳中(チョウチュウ)に飲(イン)し、命じて虞美人(グビジン)に起(タ)ちて舞わしむ。

悲歌慷慨(ヒカコウガイ)、泣(ナミダ)數行(スウコウ)下(クダ)る。

其の歌に曰く、力山を抜き、気は世を蓋(オオ)う。時利あらず、騅(スイ)逝(ユ)かず。騅逝かず奈何(イカン)すべき。虞(グ)や虞や、若(ナンジ)を奈何(イカン)せん、と〕

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紀元前202年、漢の劉邦と楚の項羽が垓下(ガイカ)で戦い、項羽軍が敗れますが、戦いの帰趨が決まったときに項羽が遺した言葉が「四面皆楚歌」です。尚、垓下は現在の安徽省蚌埠市固鎮県の場所です。余計なことですが、蚌埠市の「蚌」は「蛙」ではありません。「蚌」は「ボウ」とか「ホウ」と読み、淡水に棲む大きな二枚貝のことで、黒い色の蛤とも見えます。

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〈項羽、夜になり四方から楚の歌が聞こえるので、驚いて言った。「漢は既に楚を手中にしたのか。何と楚人の多いことか」と。項羽は立ち上がると帷幄の中で酒を飲み、愛妾の虞美人にも舞わせ、悲しい歌に想い余って涙を流し、「我が力は山を抜き、我が気は世を蓋うた。しかし、時、利あらず、愛馬の騅も進まない。馬が動かなければどうすればよいのだ。虞よ、虞よ、お前はどうするのだ」〉

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項羽がこの垓下で戦で敗北し、一方で、漢王朝が劉邦によって建てられました。この後、項羽は次の言葉を遺して自刎します。

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天亡我、非戰之罪

〔天、我を亡(ホロ)ぼす。戰の罪に非ず〕

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縦江東父兄憐而王我、我何面目復見

 〔縦(タト)え江東の父兄憐(アワ)れんで我を王とするも、我、何の面目(メンボク)ありてか復(マ)た見(マミ)えん〕

(13)に続く
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ぼくあずさ

高校一年生の頃、漢文の時間に習いました。「虞や虞や、若奈何せん」の個所しか思い出せません。
by ぼくあずさ (2010-10-29 16:03) 

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