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終戦記念日に寄せる三題 -2 [稲門機械屋倶楽部]

                                             2010-08-14 WME36 村尾鐵男

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【中国】

1972年(昭和47年)929日、ときの総理大臣田中角栄は北京で周恩来首相との間に日中国交協定を締結させ、これによって戦後途絶えていた中国大陸との国交が回復しました。

このとき、毛沢東は「中国共産党が政権を手にできたのは日本のお陰である。日本が蒋介石率いる国民党軍と戦っている間に、我が共産党は着々と軍事拠点を作ることができて、日本軍が去った後、疲弊した国民党軍を一挙に包囲殲滅することができた」と語っています。

その10年以上も前に訪中した日本社会党の議員にも「日本軍が中国の大半を占領したお陰で、中国人民は教育を受けることができた。さもなければ、中国人民は今でも山郷深いところに住んで教育とは無縁であったろう」とも毛沢東が語っています。

清朝を倒して中華民国を樹立した孫文も、その過程で日本へ逃げ、日本で同志を集めており、蒋介石も日本の陸軍士官学校で学んでおります。

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昭和12年(1937年)から始まった日華事変は日中戦争へと拡大し、中国側はこれを抗日八年戦争と称していますが。中国国民に「多大な犠牲と損害を強いた」と日本政府は謝罪を繰り返しています。評論家桜井よしこ氏の調査では日本政府は36回も謝罪声明を出しているそうです。

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先の毛沢東の言葉は多分に皮肉も込められたものではありますが、毛沢東以後の中国共産党やその政権の要人が同じ言葉を口にしたことはありません。総てに打算上手の中国人は「日本から何でも分捕る」のに不利な言葉を遣うはずがありません。

中華人民共和国が中国共産党、と言うよちは毛沢東によって樹立されたのは1949年(昭和24年)101日でしたかfら、現在の中国政権は日本の交戦相手ではありませんでした。しかし、それ以前の中華民国政府は日本への賠償請求権を蒋介石の有名な言葉である「以徳報怨」の一言で放棄しており、中華人民共和国としては日本に戦時賠償を求める根拠を失っております。

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話は逸れますが、日本の民主党政権は自民党政権がアメリカと結んだ沖縄普天間基地移設に関わる国家間協定を政権が代わったと言うだけで反故にしました。日本の民主党が限りなく親愛の情を抱く中国共産党政権は、国民党が放棄した対日賠償請求権を政権が代わったからと言って反故にすることはありませんでした。

でも、中国共産党政権にとって、対日戦時賠償請求権の放棄は些細なことです。ことある毎に日本軍の暴虐を白髪三千丈の大袈裟なぶりを発揮して騒ぎ、総理大臣や閣僚の靖国神社参拝を牽制し、結果として上海ヤオハンを奪い、新幹線技術を盗み、沖縄西方の海底資源を盗掘し、戦時賠償よりよほど大きな収穫を得ました。

中国共産党政権が長年に及んで搾取し続けた農民の労働を、今はストライキを扇動して日本企業に肩代わりさせようとしています。

3〉に続く


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