SSブログ

ロシア旅行(2) [明治維新胎動の地、萩]

                                                      by N.Hori 2010-07-28

.

ツアーは成田を午前11時に発ち約10時間飛んで、モスクワの乗り換えに手間取った(一部のメンバーの乗り継ぎの切符が発券されていない)後、2時間足らず飛んでサンクトペテルブルグに午後9時過ぎ(日本時間翌日午前2時過ぎ)に着いたが、白夜でまだ、日は高かった。

.

JALにプレミアムエコノミーというクラスが出来ていたので、初めて利用してみたが、座席幅が少し広いのは良いが、ビジネスクラスまがいの脚の支えや背中が傾く座席の構造は中途半端で快適さが少ない、出発前に空港のラウンジを利用できることなどが違いか。

.

P1010290.JPGホテルは、市の中心に往く途中のトルコ戦争の時の凱旋門の近くにあるアメリカ系ホテルで、当たり前のことだが、今回のツアーでは一番新しく快適だった。

サンクトペテルブルグは、旧ロシア帝政時代の首府で、1703年、ピョートル大帝が築いた。

.

市の中心はバルト海のフィンランド湾に注ぐネヴァー河の三角州の上流に位置して、市の中心から河口まで約10kmだと思われる。日露戦争の時のバルチック艦隊は、この沖の軍港から出航した。

ソ連時代はレニングラードと呼ばれ(1991年に現名に改称)、第2次大戦の独ソ戦の戦場になり、古い建物にドイツ軍の砲撃の跡が残り、シベリアへの避難が遅れた宮殿、美術館の展示物が略奪されたと言う。

.

P1010294.JPG観光拠点は、世界の3大美術館のひとつのエルミタージュ美術館(元冬の宮殿)、聖イサク寺院、血の上の教会、青銅の騎士像、ヴィッチ修道院、郊外のエカテリーナ宮殿、P1010299.JPGピョートル大帝の夏の宮殿などであった。 左の上三葉の写真は 聖イサク寺院、下部の一葉はエミルタージュ美術館です。

.

P1010302.JPGエルミタージュとはフランス語で「隠れ家」という意味で、もとはエカテリーナ2世(ピュートル大帝の孫にドイツから嫁いだが、クーデターで夫を排して帝位につく)の個人的なコエルミタージュ美術館・船より7・13.JPGレクションが主という所蔵品300万点の大美術館だが、全部で1000室以上ある広大な宮殿のうち、400室に17世紀から現代までの西欧絵画、彫刻、世界各地の遺跡からの発掘品などが展示されており、昼食を含めて6時間の在館スケジュールで1日がかりだったが、食傷気味で疲れたのが本音であった。修道院、寺院の観光も日本人には、内装の華麗さに驚くが、みな同じように見えてくる。

.

1日、郊外(南の方角約30km)へ出て、ピョートル大帝が妻の後のエカテリーナ1世に与えたエカテリーナ宮殿(琥珀が全面に飾られた「琥珀の間」(略奪されたが忠実に再現した)が見もの)、ピョートル大帝の夏の宮殿(海岸に面したベルサイユ宮殿を模した広大な離宮で、自然落差を利用した150の噴水が見もの)に出かけた。

.

サンクトペテルブルグには4泊して、3日間観光したが、2日半は歩き回り疲れたが、半日、河と運河の多い(65ある)市内を船でクルーズしたのが良かった。エルミタージュ他、宮殿、寺院、要塞、日露戦争にも参加した巡洋艦オーロラなどを川風に吹かれながらゆっくりと眺めて廻るのは楽しかった。

(3)に続く


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。