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M3戦車談義(2) [稲門機械屋倶楽部]

村尾さん  M4のエンジンが星形飛行機用を共用していたとは知りませんでした。 暗い写真ですがM4だったと思います。 終戦まで4万台作ったということですから量産された部類でしょうか。 飛行機エンジンとの共用も開発時期の短縮もあったのでしょうか。

Wikipediaにきれいな写真と詳しい説明がありますが、大戦後半のパンサーにはかなわなかったようですね。

大嶋 

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大嶋さん ・・・ 4/23 07:05 村尾

M4戦車の写真をわざわざ送っていただき有難うございます。紛れもないM4で、使い込まれた貫禄が感じられます。

エンジンのContinental R-975は同時期にPratt & WhittneyR-985があり、R-985Beechcraft機のエンジンとして採用されて大量に売れたのですが、R-975の方は実験ヘリコプターPiasecki H-15 ・・・ 後のVertol Helicopter・・・に搭載された程度で、航空機用としては存在感が薄かったのです。しかし、M4戦車用に5万台以上が生産されて十分に儲けたと伝えられています。 

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ぼくあずさのComment

1.M4戦車のエンジンが航空機用空冷星型エンジンの転用とは驚きました

2.縁故疎開先の旧増戸村で玉音放送を聴いた。数日後、北伊奈の谷戸で数基の星型エンジンが黒こげになっているのを見て敗戦を実感した

3.昭和22年3月に田端に戻る。朝夕2回、明治通りを10輌ほどの戦車が遠くからキャタピラの音をさせながらの示威走行を目撃した

4.早大鋳物研究所との関係で雑司ケ谷の可鍛鋳鉄工場のオーナー宅に度々遊びに行った。主にブルドーザーのキャタピラを製造していた。戦車乗りであった社長の鋳之助さんから、電柱をなぎ倒して走れるので運転は容易だと笑いながら話してくれた

5.Münchenのホテルで朝食前の散歩でDonauの流れを見た後、林の中を歩く。どうも雰囲気がFlürener Waldと違うなと気付くまもなく、前方から大型戦車が近づいてくる!!! 珍獣ハンター・イモトさながら、夢中で今来た道を逃げる、逃げる。何処にも演習場の警告はなかった!!! Googl map で調べたら、Hotelの背後に広大な公園があり、演習場跡らしいことが知れた 

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戦車:この恐ろしきもの

http://flueren.blog.ocn.ne.jp/dorf_flueren/2008/07/post_da99.html 

(3)に続く


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