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夢を追う男たち -12/18 [北陸短信]

                                      .by 刀根 日佐志

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 荘一は以前に火傷を負った人のケロイドを見たことがある。元の皮膚が跡形もなく引きつった痛々しいものであった。彼の傷跡はしま模様で元の皮膚が残っているように見えた。後に、最近の外科治療は、体から皮膚の一部を採りプレスで何倍かに引き伸ばして、火傷部分に植皮するのだと聞いた。

「装置を商品化したのは素晴らしいですね、燃料節減とはどんな原理ですか」

荘一は根堀り葉堀り聞き出した。

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 その原理も含め彼の開発した装置が、優秀な働きをするものであること、またその開発は苦難の道のりであったことを、彼は自画自賛を交えて強調した。

その時、あたふたと入室してきたD航空の職員が、カウンターのマイクでアナウンスを始めた。室内は静かになり皆が耳を傾けた。

「誠に申しわけ御座いません。韓国、金浦空港の濃霧による視界不良が回復しませんので、本日のフライトが中止になりました。明朝十時の臨時便にご搭乗下さい。本日はこれでお帰りください」

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 皆から一斉に不満の大声が発せられると、それがざわめきに変わり待合室に満ち溢れた。しばらくすると、ざわめきは消えていった。

その時突然、長柳と革ジャンが立ち上がり、カウンターまで走り寄った。すると革ジャンは荒々しくマイクを握りしめた。

「我々を朝十時から八時間も待たせておいて、これで帰れとは何事だ、責任をとれ!」

革ジャンは室内に響き渡る甲高い声で叫んだ。

勿論、室内にいた皆の視線は二人に集中した。

「そうだ、その通りだ」我々の気持を代弁してくれたのだ。皆はそう思ったに違いない。荘一も胸につかえていたしこりが、消えていくのを感じた。

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 もう一度革ジャンは荒らしく声を張り上げた。

「我々は大事な時間を費やして待っていたのだ。何とかしろ!」

すると革ジャンは、机上にあったマイクのコードを引きちぎり、マイクを卓上スタンドごと力一杯、床に投付けた。

ガーンと高い音をたてて床に大きく弾んだ。卓上スタンドから外れたマイクは、カウンターに当たり真横に飛ぶと、客席の椅子の下に滑り込んだ。そのマイクのコードだけが端を少し見せていた。待合室は一瞬、シーンと静まり、次いで、どよめきが起こり拍手に変わった。


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夢を追う男たち -11/18 [北陸短信]

                                .by 刀 根  日佐志

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「では、たびたび、韓国へは行かれるのですか」

「……」

「私はこういうものです」

荘一が名刺を差し出した。

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その男から名刺をもらうと長柳鉄工社長、長柳竜太郎と書いてある。

長柳は隣席の革ジャンを着た男を、親戚の者で俺の用心棒だとニコリともせず紹介した。荘一は笑顔で頷いた。

「ところで何の装置を開発したのですか、ご苦労されたでしょう」

荘一は、開発に挑戦する長柳に、尊敬の念をこめて話をした。

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長柳は人に接する態度は、ぶっきらぼうで愛想が良いとは言えない。生来の無愛想な者が人と接する機会が多くなると、その殻から抜け出て、少しは改善されることになる。彼はその過程にあると、荘一は好意的に考えた。でも世に言われる「技術バカ」の側面があり技術の話になると、そんなことは超越する。

先程までは、煩わしそうにしていたが、見開いたまぶたから黒目が光り始めて、荘一を見詰めた。

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「こいつに話しても解らないと思っていたが、少しは話が解りそうな奴である」とでも言いたげな彼の目は、輝きを増した。

「重油に水を混ぜ、燃料節減が出来る装置を開発したのです」

彼は得意満面の笑みを見せた。さらに強調するように声を強めて付け加えた。

「油に水を混ぜることには、たいへん苦労しました」

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実験を進めるが、結果が出ない、一方、時間は勝手に過ぎ去る。底を尽く費用、眠れぬ毎日、荘一には容易に想像が出来た。彼の顔に現れた傷と数本の深いしわは、その労苦を克服した証のように思われる。

またあの火傷の跡は、実験中に火炎を浴びた災難によるものだと容易に推察できた。


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夢を追う男たち -10/18 [北陸短信]

                               .by 刀根 日佐志

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果たしてフライトが可能なのか、荘一は、いまなお航空会社の対応に疑念を抱いていた。待合室の免税店でタバコや洋酒を買い求める者や、待ちくたびれて椅子に座り込んでいる者も多くいた。

荘一が座る椅子の隣では、六十歳前後と思われる町工場の社長らしい男と、三十歳位で、体格の良い革ジャンを着た男との二人連れが座っていた。

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二人とも背が高いのであろうか、椅子から長い足を、放り出して座っている。グレーの背広で細い体を包んだその社長らしい男は、時々、厳つい顔付きをした革ジャンからの話しかけには、頷きもせずに聞いていた。やがて、彼は一本の煙草をくわえ火を点けると、大きく吸い込み、天井に向け煙を吐き捨て、安心したように目を瞑った。

四方から昇り始めた煙草の青白い煙は、室内照明に照らし出されると、くっきりとしたまだら模様の浮雲のように、不規則な動きで上昇した。天井まで達すると、その煙は、むせ返るような淀みの中に吸い込まれていった。

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荘一がそっと横を向き、その男に話しかけた。

「お仕事で韓国へ行かれるのですか」

 目を開けて、なおも一服を吹かした後、右のまぶたから頬に掛けて、火傷で出来たと思われる傷跡のある細長い顔を、面倒臭そうにこちらに向けた。手の甲から手首にも大きな傷跡がある右手で、煙草の火を消した。

「私の開発した装置が、韓国で採用されたのでソウルへ行くところです」

細い長い目を見開き、大きな口を動かした。何となく彼の顔や態度から、職人気質であるが野心家の匂いがした。


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夢を追う男たち -9/18 [北陸短信]

                                       .by 刀根 日佐志

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 荘一は精神統一することについては、同意できたが、「お告げ」になると納得がいかない思いで彼の顔をじっと見入った。だが、彼は真剣な眼差しで語り続けた。その後も何度かこの言葉が出てきた。「飛んでいる鳥を落とす」ことも見ていない荘一は、人格そのものに胡散臭さを感じる思いであった。会社経営者であれば言葉に気をつけなければ会社の信用に関わるように思えた。その後、鯵川とは何度か会う機会があった。

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 街中では、鯵川の発明した看板、料亭内に設置された生簀水槽をよく見かけた。これで、彼の会社の基盤が出来たということも人伝に聞こえてきた。

 数年後、ある会合で鯵川と会うと、彼の口から思いも寄らない言葉を聞いた。

「織田信長が本能寺で明智光秀の謀反にあった。自分も専務の謀反にあった」

 表情を曇らせると、言葉少なに述べると、それ以上のことは言わなかった。

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 後日、彼の会社に出入りする人から聞くと、工場増設の折、会社が増資をした。専務が土地を持っていたので、それを現物出資したらしい。その結果、出資比率が専務の方が多くを占めることになり、臨時株主総会で彼は会社を負われたと聞いた。

彼のことだから、必ず再起を期すことであろうと、荘一は四角い顔を思い浮かべた。

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                                    (三)

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三枚目の写真は、十年以上前、韓国へ行く時に出会った個性豊かな町の発明家であった。

機械の販売で荘一はソウルへ行くため早朝に大阪空港へ着いた。だが、夕方近くまで待たされ、やっと搭乗手続きが始まった。

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 韓国行きの手続きを終えた後ろ姿に、疲労感を漂わせた多くの搭乗客が、荷物を抱え大阪空港の出発ゲート待合室へ、気怠そうな足取りで入って行った。あとは機内への搭乗を待つだけである。


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夢を追う男たち -8/18 [北陸短信]

                                      .by 刀根 日佐志

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ガソリンスタンドやドライブインなどで、「営業中」「本日閉店」と通行客に明示するプラスチック製の看板を、荘一は街中で見ることがある。それは、彼が開発販売しているものだという。

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「ところで、鯵川さんの発明した看板を、よく見かけますね」

「お蔭様で売れております。あれは店先に置くだけで誘客に貢献します」

鯵川は、大通りに面したガソリンスタンドや商店を営業して歩いたという。十軒歩くと、興味を示す店が五軒はあったらしい。

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「必ず聞かれるのは、(いくらですか)の問いです。考えている価格に近ければその場で買ってくれます。決定権のある方が店内にいることが大事です。今は塵ボックスと生簀水槽を開発して料亭などに販売をしております。これも順調に進んでおります」

「そのようなアイデアはどこから生まれるのですか」

「自分は忍法を修業してますので時々、山にこもり精神統一します。そうすればアイデアが浮かんできます」

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 彼はエネルギッシュに思わせる脂ぎった額のしわを、深く刻むと微笑んで見せた。

「忍法を心得ているのですか」

 荘一は身を乗り出して彼の口元を見詰めた。

「自分は若いときから、忍法を修行してきました。以前にテレビの番組でイレブンピーエヌという番組に出ました。そして飛んでいる鳥を落として見せました」

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 荘一は商品開発のことより、この話の方が詳しく聞きたかった。だが彼は生簀水槽の発明にいたった経緯と販売方法を事細かに説明しだした。

 精神統一すれば「お告げ」があるという。色々なアイデアや販売方法はそこから生まれてくるという。


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夢を追う男たち -7/18 [北陸短信]

                      .by 刀根 日佐志

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                                   (二)

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 二枚目の写真を手に取った。

荘一は台湾へ商用で出かけたことを思い出した。仕事を終え、台北、士林(シーリン)市場の屋台で果物を食べていた。

隣の席にいた客は荘一が日本人だと分かると話しかけてきた。

「あなたは日本から来たのですか」

「そうです。三日前に富山から来ております」

「自分も同じ北陸です。金沢から来ました。一昨日から来てます。ここで、この断面が星の形をしたスターフルーツは初めて食べました。少し酸味がありますが、さっぱりした味ですね」

 扁平で四角い顔を綻ばせて、話しながらスターフルーツをお替りしてたべていた。

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たがいに名刺交換をした。日本考案株式会社、社長、鯵川一雄とあった。

「ところで、先日の長野冬季オリンピックでは、原田選手のジャンプは飛距離が伸びましたね」

別れ際に、日本選手が大活躍したのを話題にしていたので、記憶に残っている。

鯵川は白山の麓で育ち、中学のスキー選手をしていたという。また、精神統一のため山に時々入るという。

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帰国後、中肉中背の鯵川は、作業服姿で荘一の会社を訪ねてきた。

「荷物を載せて階段を上る台車を作りたいのですが。知恵を貸してください」

 顔をほころばせ、荘一の目を見つめてから視線をそらすと、しわがれ声で台車の設計図とイラストを見せ話した。

「普通の台車は四輪です。これは小さい車輪を五輪ずつ交互に二列に並べて片側に十輪、左右に合計二十輪くらい取り付けます。だから、階段の角を車輪が常に接触しております。したがって、階段でも楽々と重い荷物を載せて、登ることが出来ます。百足からヒントを得ました」

 知恵を借りたいのでなく、今まで発明、販売してきた商品について大きな口から白い歯を見せ一方的に喋りまくった。


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夢を追う男たち -6/18 [北陸短信]

                                  .by 刀根 比佐志

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「今度、加持の家に行き、奥さんのお顔を拝見してこよう」

荘一は妻の由紀と顔を見合わせて大笑いした。

「加持は一風変わった人だ」

加持の異色ぶりには困ったという表情で荘一が言った。

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「でも、あなたの方が変わっているわよ」

由紀は待ち構えていたかのように即座に言うと、荘一に含み笑いを見せた。

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「どこが変わっているのよ」

 荘一は由紀に真顔で言い返すが、由紀の笑みは消えなかった。

「変わっている人と言うのは、どこが変わっているのか本人は知らないのよ」

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 そしてポツリと言葉を付け加えた。

「私はあなたの三十歳のときに結婚したので、もう二〇年以上も連れ添っているのよ」

「貴方は、普通だと思っているのでしょう。でも変わっているわよ」

あなたのことは大概のことは分かるわよと由紀は言いたげな表情をしていた。

考え方や行動が、この人は他人と少々違うと日頃、由紀が感じているらしいことは荘一も知っていた。だが自分は、いつも、まともだと思っている。

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「俺も色々な物を発明はするが、あんな下らないものは考えない」

 あの固形抹茶などは、ムードもなければ情緒も感じられないと言いたかったが、言葉少なになった。

「あら、そうかしら、貴方の方がもっと下らない物が多いわよ」

 どうも由紀とは話が噛み合わない。

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その後、加持から「この間ご紹介した事業は失敗に終わり、別の商品を開発中であります」と連絡を受けたが、ずっと、音信は途絶えている。また、お土産に戴いた一箱の〈食べる固形抹茶〉は封も切らずに、そのままにしてある。


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夢を追う男たち -5/18 [北陸短信]

                                 .by 刀根 日佐志

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荘一のすすめもありその日、加持は荘一宅に泊まることになった。そして特徴のある顔を綻ばせながら現在、人工栽培に取り組んでいる霊芝の健康への効用をまくしたてた。

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陶酔の境地に入り込んだ真剣な眼差しと、身振り手振りで一方的に説明をした。荘一の口を挿む余地はなかった。

加持の奥さんは派手な身なりで、気性も強そうだが、殊の外、主人を立てている。

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当日は夕食に、今朝、獲れた蟹や鰤で歓待した。奥さんは加持に蟹の身を殻から丁寧に出してあげていた。加持は嬉しそうに黙って見ていた。

「私は、こんな美味しい蟹や鰤を初めて食べました」

奥さんは驚いていた。

「富山の魚は美味しいですね。刺身はコリコリとした食感が何とも言えないです」

獲れたての魚の味を、加持夫妻は絶賛していた。翌日、お土産に〈食べる固形抹茶〉一箱と〈飲茶シート〉を置いて帰った。

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数日後、加持から荘一の自宅に電話が入った。

「先日は色々お世話になりました。東京に来たときには、是非、私の家にもお寄りください」

お礼を述べたが、最後に謝りたい事があると付け加えた。

「申し訳なかった。先日連れて行ったのは女房でなかったのです。すいません」

意外な言葉に、荘一は放心したような複雑な気持になり黙り込んだ。しかし暫くすると、苦笑いがこみ上げてきた。


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夢を追う男たち -4/18 [北陸短信]

             .by 刀根 日佐志

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荘一は冗談かと、加持を凝視した。彼は、荘一にも勧めたが「失礼します」と述べると、固形抹茶の小さな塊を、楊枝で刺して口へ運んだ。

「食べる抹茶にしてありますので、苦みがあり、お菓子に合いますよ!」

口を動かし、お茶を味わうように食べると今度は、生菓子を美味しそうに頬張った。

荘一は呆気に取られて見ていたが、食べ終わると「ご馳走さま」と小声で呟くと、菓子皿と抹茶茶碗が描かれていたビニールシートを巻き畳むと、最後に横のゴミ箱に捨てた。つまり加持が開発した〈食べる固形抹茶〉と、〈飲茶シート〉を販売して欲しいとのことであった。

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「加持さん、これは屋外でキャンプや、お花見用とか、遊び道具として販売すればよいと思いますが」

少々失礼なことを言ったかと思ったが、加持は別段、気にも留めていない様子である。

「〈飲茶シート〉を使って〈食べる固形抹茶〉をたしなむ。こういう文化を広めたいのです」

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加持は、至って真面目な顔で意気込んだ。どうも本気で考えているらしい。

「災害時の非常食として〈食べる固形抹茶〉は適しています。そのルートで販売してはいかがですか」

荘一の感じたことを話してみた。

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加持のこだわりが、強かったのか無言であった。無表情な顔からは、そんなことは考えていないという言葉が伝わってきた。

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それから二、三ヶ月後の日曜日、加持から荘一の自宅に電話があった。ご夫婦で、旅行中らしい。

「いま富山へ来たので、樽本さんのご自宅へ、お寄りしたいのですが」

「どうぞ、お寄り下さい」

 間もなく、愛用のベンツで奥さんと現れた。

加持の奥さんは、派手な濃紺に真っ赤なバラの花模様をあしらったミニのワンピースに金色の長いイヤリング、大きな宝石をあしらったネックレス、きつい化粧、どれ一つとってみても中年の水商売の女性に見えた

加持はカジュアルウエアでラフな服装であった。


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夢を追う男たち -3/18 [北陸短信]

                            .by 根 日佐志

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その後、かかりはなかったが二年位後、静岡の飲み屋で、出張中にパッタリと加持に出会った。加持の名刺、もみ上げも勿論だが顔の特徴は北京で会った時、瞬時に記憶の中に張り付いていた。

細長く頭部から顎に向けて直線的に細くなり、顎の先端が尖り、長く大きな鼻と両端に垂れ下がった丸い目、厚い唇と大きな口、顔の部品がみな大柄である。どのような仕事をしているのか知らない。だが、陽気で色々なものに研究熱心で、こだわりが強いが、すぐに物事に飽きてしまう人物であると荘一は勝手に想像した。

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数ヶ月後、加持は荘一の会社を訪れた。挨拶を終えると、カバンから二枚のB四大の薄いビニールシートを取り出した。腰を下ろすと、応接テーブル上に広げた。これは、群馬県の発明仲間から、権利を譲り受けたものだという。食事用のものをアレンジして〈飲茶(ヤムチャ)シート〉にしたものらしい。

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「この〈飲茶シート〉を使うと、例えば、このような事務所でも、ご家庭でも高級喫茶で和菓子を味わいながら、抹茶を賞味している気分になれます。お皿もお湯、抹茶茶碗もいりません。洗う手間もいりません。このシートは使用後、捨ててしまえばよろしいのです」

加持は得意そうな表情で、笑顔を見せながら話した。

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全体に黒い漆塗りの盆が描いてある。その上に萩焼の菓子皿が一枚と底の浅い抹茶茶碗とが、立体的に綺麗に印刷されていた。特に、菓子皿と抹茶茶碗は、本物と区別がつかない。灰色の釉薬の美が、芸術的に強調されたものに仕上がっていた。

加持は手馴れた動作で、二人の前の印刷された菓子皿の上に、鞄から取り出した生菓子と楊枝を夫々置くと、今度は加持が開発した〈食べる固形抹茶〉を抹茶茶碗の中に入れた。


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夢を追う男たち -2/18 [北陸短信]

                           .by 刀 根  日佐志

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                                         (一)

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最初の写真を手に取り眺めると、十数年前の鮮明な記憶が浮かんできた。それは中国の北京であつた。朝の通勤時間、多くの人が歩道を足早に行き交う、その脇を自転車の集団が通り過ぎる。街路樹が初夏の光を浴びて優しい木陰をつくり、その狭間で朝日を浴びると、明るい元気そうな大勢の顔が見える。その朝、見た光景は午後には一変していた。人はまばらでギラギラした陽光が降り注いでいる。ビルのコンクリートは朝から吸い取った熱気を放出し、近寄るだけで夏の昼下がりを意識させた。

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北京の銀座街と呼ばれている近くのビルを背景に、二人の日本人が写真に映っている。荘一は商用で旅行中に、街角のレストランから出たところで、東京から来たという二人連れの日本人と、出逢ったことがある。一人は奇遇にも荘一の元勤めていた会社の同僚だ。その時、彼は荘一に彼と同年代と思える連れの加持を紹介した。

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名刺交換したときに驚いた。加持の名刺は透明なビニールで出来ている。ビニールの名刺と、一枚の名刺大の紙が添えられていた。表は黒色、裏は白色の用紙であった。透明なビニール名刺には、白文字で社名と名前が印刷され、黒で英文字が記されていた。

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添付された用紙の黒色側をビニール名刺に当てると、日本語の白文字が浮き上がり黒文字は消えた。用紙の白色側をその名刺に当てると、黒で書かれた英文字が浮き上がってきた。

さらに彼の顔を見て奇異に感じた。揉み上げの左側は極端に長いが右は短い、そのアンバランスを眺めていたら、彼も視線を感じとり「私の顔も一枚の名刺です」と彼は、にっこり笑い手を差し出した。荘一も笑顔で、差し出された手を握り、挨拶を交わして別れた。


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夢を追う男たち -1/18 [北陸短信]

                         .by 刀根 日佐志

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 夕食後、書斎で樽本荘一は先月、海外旅行したときの写真を整理していた。手を休めて、視線を本棚に向けた。三十数冊の分厚い写真帳が並んでいた。そこからは、重そうで棚板の悲鳴が漏れてきそうであった。

さぞかし、その中に、忘却のかなたに埋没していた時間や空間、情景、風光明媚を誇示する自然、多様な人の顔が詰め込まれているのであろうと考えた。耳を澄ますと聞こえてくる。吐息や喚声が……。

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目を凝らすと、喜怒哀楽を秘めた何食わぬ顔、かんかんがくがくと議論する顔、大言壮語する顔が見えてくる気がする。これら、雑多な物の満ちた重量感が、棚板に伝達されているに違いない。と思い数冊を取り出して見ていると、面白いことに気がついた。

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微笑んだ被写体が多い中で、ひと際、高笑いが聞こえて来るような笑顔を見せる人物の写真を、数枚取り出してみた。従業員三十人の工事会社を経営している荘一は、仕事上で知り合ったと思われる複数の人物写真であった。

その顔は、笑みを満面にたたえているが、顔つきからうかがい知れるものは、独善とも思われる自信を誇るような笑い顔であった。だが、重みと福福しさに欠ける表情に思えた。

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荘一の記憶が薄れている面もあるが、彼等の共通点は、我が強く、自信家で、また町の発明家でもあり、人様より少々変わっていた人物のように感じられる。

 そこへ妻の由紀と高校生の一人娘が来て、横で一緒に見ていたが「とくに、特徴のある写真はこれだわ!」と四枚を指さして二人とも部屋を出て行った。


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孤独の扉 -4/4  [北陸短信]

                                                                               刀根 日佐志

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経営者の会合に出席していた平蔵は、経済評論家の講演を聞いていた。どの講師も景気低迷は長期に続くため、企業は合理化に力を入れ、IT技術を活用し、得意分野に経営資源を集中させろと言う。また独自の商品開発をしなさいとも力説している。

休憩の合間や懇談会の席上では、

「景気が悪いね!」

「仕事が無い!」

「安い仕事ばかりで!」

「〇〇社は危ないらしい」

経営者の愚痴やら本音みたいなものが、耳に飛び込んで来る。皆が真剣に悩んでいることが分ってしまう。

平蔵までも、その場にいると、木枯らし吹きすさぶ森の中に、佇んでいる寂しい自分を連想させさせてしまう。

あるカリスマ経営者は、以前に述べていた。

「景気が悪い、景気が悪い、と口々に云うではない。本当に景気が悪くなってしまう」

と話していたが、あの話はうなずけるものがある。

本当にその言葉が充満すると、周りの雰囲気を支配してしまう。

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数日間悩んだが、このままズルズルと経営状況を悪化させ、立ち行かなくなるまで、傷口を広げるわけにはいかない。社員に、痛みを与えることになるが、会社存続のため不良採算部門の廃止を、断行するしかなかった。

先ず幹部を集めリストラの断行を話し、翌朝、社員全員を集め、苦渋の選択をするまでにいたった背景の説明も充分にした。

彼等は等しく暗い深刻な顔をし、社長の顔を直視しようとはしない。顔をずらしたところに、視線があった。これを見ると、彼等には大きな衝撃が走っている。充分に読み取ることが出来る。

だが、考えた末の決断で進める以外に方策はなかった。できる限り、犠牲者を少なくすることで、乗り切る考えを胸に秘めたまま話し終わると、平蔵は「孤独の扉」を開き部屋に引きこもった。

                                                         完


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孤独の扉 -3/4   [北陸短信]

                                                                           刀根 日佐志

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昨晩は雨風の強い日であった。雨は打楽器のような高い音を響かせながら、横殴りにガラス戸を殴りつけていた。倉庫のトタン屋根が、まくれ掛かっているらしく、バタンバタンという音が、一晩中鳴り止まずに続いた。何時までも、寝付けずにうとうとしていると、明け方を迎えてしまった。突然、鳴り出した電話の音に、完全に眼が覚めた。会社からの連絡で、工事現場の事故報告である。

早々に会社に向かうことにした。会社では工事部の数人の社員が、会議テーブルを囲んで議論をしていた。平蔵の姿を見ると、工事部長と工事の担当者が、平蔵の後を追っかけて社長室に入ってきた。

「早朝からお呼び出しして、事故のことで済みません」

眼を赤くして済まなそうな表情をし、低い声で話す工事部長の話が、終わるか終わらない内に平蔵は話を切り出した。

「どの程度の事故で、損害状況と、客先にはどの程度、ご迷惑を掛けたのかを、先ず聞きたい」

「お電話で概略申し上げましたが、新潟の重油タンク工事現場で、五十パーセント位を組上げた溶接仮止め中の鉄板が、昨夜の強風で崩壊してしまいました。工事現場の周辺は原っぱで、客先にご迷惑を掛ける問題は、現在発生しておりません。もちろん、人身事故などもありません」

「崩壊散乱した鉄板は、現在トラックで近くの鉄鋼加工工場まで運び、修正修理して数日中に再組み立てします。最初に決めた納期には間に合います。また追加費用は、予備費内で済みます」

工事部長が、担当者に代わり答えた。

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この部屋へ入り報告に来る者は多いが、この所、好い話で来る者はめっきり減り、芳しくない話や、後ろ向きの話が多い。生ずる事象が、不況という世情の暗さに濃密に感化され更に、より暗く装飾されたものが、濾紙で濾過されて残り、それが自分の近辺を徘徊しているかのようにさえ思えた。

平蔵は、この部屋で静かに考えごとをするとき、ふと孤独感を募らすことがある。そんなときは、部屋の外に出る。別のフロアーで社員はパソコンに向かい、ある者は設計図を広げて計算をしている。電話で誰かに仕事の指示をしている者や、顧客とテーブルで打ち合わせ中の者もいる。平蔵の顔を見ると、皆は声を掛けてくる。

「ご苦労様です」

と挨拶をする。

ある者は近寄ってきて、客先の社長さんより、

「お宅の社長に宜しくと言われました」

と話し掛けてくる。

ホッとする瞬間でもあるが、引きずっていた孤独感がやや薄れたかに思うが、払拭するまでにはいたらない。


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孤独の扉 -2/4   [北陸短信]

                                                                           刀根 日佐志

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今日一日があっという間に駆けて往き、会社に戻れば夕闇がせまっていた。書類箱の決済書に目を通し終わり、収益改善の方策に、思いをめぐらしていた。すると、窓から月明かりが差し込んでいるのに気が付き、月を見上げると雲が微かにかかり、薄く影を作りながら移動していた。何故か平蔵は、急に孤独感に襲われてくるのを覚え、書類を閉じ、何時までも月を見つめていた。

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平蔵は、最近めっきり増えた白髪に、手を遣り眉間の皺を一層深め、各部長から出てきた収益改善の緊急対策案を見ながら、目新しい方策のないことに、失望を感じていた。各部長は自身の身の丈で、物事を考え提案してくるから、身の丈に合ったものしか出てこない。これを打ち破り、その域から脱することを、拒んでいるかのようである。

窓外に目を遣ると、もう暗くなった東西に延びる道路には、小さく見える車のヘッドライトが、幾つもの光の点をなして、スーッと夜陰に消えて行ってはまた現れる。もうそろそろ緊急対策の結論を、出さねばならないと考えながら、もう何日になるであろうか。会社の余力が底をついてきた今、このままでは奈落の底にはまり込み、赤字は大きく膨れ上がり兼ねない。そんな焦燥感は、各部長に緊迫感となって伝わっていない。そのことの歯痒さで、平蔵は苛立ちを覚えた。

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朝、出社すると、商事部長がノックもそこそこに入ってきた。彼は緊張して話をするときには、眼鏡のつるに手をかけ眼鏡を動かす仕草をするのが癖である。二~三回これを繰り返して、話し始めたところを見て平蔵は、嫌な予感がした。

「取引先のB社が不当り手形を出したという情報が入ったので、担当者が今朝、B社へ直行しています。帰り次第連絡にきます」

商事部長は、いったん席を立ったが、やがて帰ってきた担当者と一緒に、部屋に入ってきた。

報告によると、B社には聞きつけた債権者が、大勢詰め掛けており倒産を示す張り紙があったと言う。

「ところで、B社には売りと買いがあったと思うが」

平蔵の問いに商事部長は、予め調べたメモを取り出した。

「先方からの受け取り金額と、当社からの支払い金額とで、相殺すると多少貸し倒れが生じます」

詳細なメモ書きを商事部長は、平蔵に手渡した。そして付け加えた。

「申し訳ありません」

取引先を定期的に精査しているが、この所、多くなった会社倒産の新聞記事を見て、問題が生じなければよいがと、いつも気にかけていた。今回は何とか軽度で済み、救われた気持ちだが、気を許すことは出来なかった。


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孤独の扉 -1/4   [北陸短信]

                                                                              刀根 日佐志

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窓外には、雪をまとった立山連峰が、雲ひとつない澄み渡った空の下で雄大に聳えている。険しさを誇示するかのように、雪をもよせ付けない切り立った褐色の岩肌を、所々に露出させ、一大パノラマを一層、神秘的に見せている。冬を迎えたこの季節、空気も澄みきって、視界を遮るものがない。

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朝、畠山平蔵が出社すると執務に就く前に、立ったまま虚ろな眼差しで、二階の自室の窓越しにこの光景を眺めていた。そして、連日、深夜までの仕事で、引きずっている気だるさを感じていた。五十を過ぎると、夜更かしが体にずしんと堪えるようになったと感じながら、昨夜の議論を思い浮かべていた。

売上げの落込みに、歯止めがかからない工事部門は、更に赤字工事の受注が収益を大きく悪化させている。営業部長の、何もかも景気悪化のせいにした報告に、いささか辟易していた。

今後の対策について数時間、延々と議論が続いたが、採り上げるべき妙案はなかった。今まで会社は、発展の一途を辿ってきた。ここ十年で社員も三倍の六十名、売り上げも三倍近くなった。したがって、不況が来ると落ち込みも大きいものがあった。

平蔵は事務の女性が入れたお茶の、まだ保たれている湯呑を通して感ずる温もりを、手のひらで受けていた。それが心の安らぎを、与えてくれるかのようであった。満足げに、飲むこともせず、その湯呑を持ったまま、立ち尽くし、雪の立山を何時までも眺めていた。

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ノックと同時に

「おはようございます」

秘書係りが入って来た。

「おはよう!」

反射的に答えた平蔵は、自分のややトーンの高い声にハッとし、我にかえった。

「昨日ご連絡がありましたとおり、今朝九時に坪藤商会の社長が、来社との事です。また十一時に大船産業の支店長、午後からは商事部の部長と得意先回りとなっています」


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発明馬鹿 -16/16 [北陸短信]

                                                               刀根 日佐志..

 一足先に第一湯本亭に来て、有名な骨董品コレクションで名の知れた第一湯本亭の名品を見せて貰っていた本多部長が、防水工事を見にやって来た。本多は、この三人の様相を見て、異次元世界に入り込んだのかと錯覚を覚えたに違いない。

セメントで汚れた八郎と草本の顔は、判別できたのだろう。だが、いつも凛々しい顔の長官を見ている者は、手に糠味噌の付いた沢庵を掴み、顔面を真っ赤にした顔を見て、長官と思うものはいないであろう。やがて長官の顔だと気が付いたのか、本多は「遠藤長官だ!」と呟いた。一方、長官は、この場で八郎、本多と鉢合わせするとは、考えてもいなかったことであろう。頬を真っ赤に紅潮させ、うろたえるのは当然である。今迄に、国会でもこんな取り乱した姿を見せたことは一度もなかったであろう。

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防水工事は一先ず成功した。予期もせずに、長官にも会えた。あのとき、草本がいなければ、長官に抱きついていたのにと再び思い返していた。長い間、不運続きの八郎は、やっと薄明かりのようなものに手が届いたと考えていた。これを掴み取らなければ、もう再起はないように思えた。

先が見え、しばしの安堵を得た八郎は、仕事を切り上げて、七ヶ月ぶりに自宅に帰ることにした。草本は行き先が同じなので八郎の車に同乗して、彼の奥さんに会い、挨拶してから帰ることになった。八郎は途中、車を止め高級洋菓子店で、入念にケーキーを選んだ。

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高崎の事務所から二時間位、郊外へと車を走らせた。八郎の自宅の前に着くと、夕暮れが迫り薄暗くなっていた。家の前に植えられた数本の南天には、鮮赤色に色付いた実はなかった。今は寂しげに濃緑色の小さな葉だけが風に揺れていた。毎年、八郎は赤い実を見るのを楽しみにしていたが、もう、とっくに季節は過ぎていた。

玄関の外灯が点いていなかった。何となく寂しい雰囲気に感じられた。八郎が玄関の扉を開けようとしたが鍵が掛けられていた。チャイムを鳴らしたが誰もいない様子である。妻は多分子供をつれて買い物にでも出掛けたのであろうと話しながら、八郎は鍵をあけ玄関に入った。導かれるままに草本も後についてきた。

八郎が奇異に感じたのは、靴が一足も並べられてないのと、しばらく、人がいた温もりが感じられない。これは買い物に出掛けたりしたのではなく、数日前か、もっと前から留守になっている気配である。

八郎の脳裏には虚無感がよぎって行った。彼は、こんな感慨を以前に持ったことがあるのを思い出していた。見る見るうちに顔面蒼白になるのがわかった。居間に入ると、テーブルの上に走り書きのある便箋一枚に、書類が一通置かれてあった。

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もうどんなことが生じたかは、八郎には分かっていた。便箋の下に重ねてあった書類は妻の名前が記された離婚届であることは……。八郎は書類を掴むと、板の間に叩き付けてから、しばらくそこにしゃがみ込んだ。草本は、その場に立ち竦んでいた。

テーブルに置かれた菓子折りが無言で、ただひたすらに、団欒を待ち侘びていた。その場から急に立ち上がると、八郎は夢遊病者のようにふらふらと玄関の方へ歩を進めた。そして玄関を出ると車に飛び乗り、会社の方角へ走った。八郎は草本が側にいたことをも、もう忘れてしまっていた。    

                                                                               (了)


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発明馬鹿 -15/16 [北陸短信]

                                 刀根 日佐志

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誰かが漬物桶から漬物を取り出していたが、お互いに桶を挟んで人の存在を知らずに作業をしていた。漬物を取り出し上体を伸ばしたところに、八郎と草本が立ち上がったのが同時で、漬物桶を挟んで三者の目線が合った。手に糠味噌の付いた二本の沢庵を掴んだスカートを穿いた女性と、八郎は互いに目を皿にして見入った。

それから「あ! あ!」と二人から同時に声が出た。八郎は仰けに反り返り転倒しそうになったのを草本が支えてくれた。

スカートの女性は腕をくの字に曲げたまま、その手には二本の沢庵を握り締め、やり場に困りながらも、そのままの姿勢を保ち「八郎さん、なんでこんな所に……」と驚きと羞恥心とが交錯したような表情で、とぎれとぎれの声を発した。

「長官! なんで……ここに……」と八郎も長官と同じようなことを叫ぶと、憧れの人が急に目の前に現われたので、声が詰まり顔が真っ赤になるのが自分でも分かった。

「もしかして此処が長官のご実家で!」

 これだけの言葉がやっと口から出た。

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草本がこの場にいなければ、八郎はきっと衝動的に長官に抱きついていたであろうと思った。この雰囲気は長官も同じ気持ちになったものと考えた。すると、草本を連れて来たことを悔やんでいた。

八郎は遠藤裕子の議員秘書時代に、実家は由緒ある温泉旅館と知っていたが、仕事では東京の自宅しか出入りをしていないので、詳しくは知らなかった。

「国会が休みなので、私も休暇を貰って実家に来ていたところです」

草本は顔をセメントで真っ白に汚してピエロのようにおどけた顔で、八郎も同じに見られていると思いながら、手に左官鏝を持ち、茫然と立ち竦んだ。一方、長官は薄暗い部屋で、漬物桶を間にして部屋の明かりの全てを身体に吸収して佇むかのように、美しい顔を一段と輝かせていた。そしてスタイルのよい脚は、スカートからはみ出ていた。また腕をくの字に曲げ、掌で掴んだ沢庵からは、ポタポタと糠味噌の滴りが落ちてサンダルを履いた足首を濡らしていた。


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発明馬鹿 -14/16 [北陸短信]

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事務所内の和室では、八郎の会社に出資をした中年過ぎで、有閑マダム風に見える女性が寛いでいた。八郎は、今からお茶会へ行くという和服姿の二人に挨拶を交わし彼女達との話に興じた。

「仕事、仕事で奥さんをほったらかしておくと、また逃げられるわよ」

 八郎の過去を良く知る小太りの女は言う。

「今の女房は理解があるから大丈夫!」

 八郎は自信ありげに笑った。

「でも奥さん、構って貰えないと浮気をするわよ」

 もう一人の女がジャブを飛ばした。

「なーに、久しぶりに帰るとたっぷりサービスするからね」

 八郎は負けずに言い返した。

「あら、いいわね! 私はもう何年もあちらの方ご無沙汰よ」

 彼女たちは、しばらく雑談をしていたが、お茶会へ出掛けて行った。

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 午後になったので、八郎は社員と草本を車に乗せて、伊香保温泉で老舗旅館として知られている第一湯本亭の地下室に入った。二十坪位ある地下室は、天井の蛍光灯の灯りが薄暗く申し訳程度に辺りを照らしていた。室内は、じめじめとしてかび臭く、四方の壁や床も黒く汚れている。

直径八十センチ位の古びた漬物桶が室内に一〇本以上、雑然と置かれて、糠漬の酸っぱい香りが鼻を衝いた。床から浸透してきたと思われる地下水が、その床を湿らせていた。聞く所によると時々、モップで床に染み出た地下水を吸い取り清掃していると言う。

八郎はしゃがみ込み、漬物桶の近くを念入りに乾いた雑巾で床を拭いて漏水箇所を探していたが、やがて亀裂を見つけて「此処だ! 此処だ!」と大声を上げた。

八郎はセメントと砂と開発中の防水剤を混ぜた防水モルタルを、床に念入りに塗り始めたので草本も手伝ってくれた。作業が終わりかけたので、屈み込んでいた八郎と草本は目線を床から上に移した。すると眼前に、スカートを穿いたスラリとした綺麗な二本の足があり「あっ!」と声を出しそうになった。


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発明馬鹿 -13/16 [北陸短信]

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草本は僅かな情報を与えても、問題点の指摘が的確で、何でも透けて見られている気がして気に食わない。レシピを言わなければ良かったという気もして、八郎は草本を凝視した。俺は自分でも、根は誠実であると思うが、今のような気持ちになると、事実は包み隠してしまおうとする気にもなる。それが透けて見られると、多分に大道商人のような薄っぺらな駆け引きに似たものを、相手に見せてしまうことになるが。

不利な点をさらけだし、相手の知恵も借りて改善しようとするまで、どうも素直になれない。

「八郎さん、もう一歩踏み込んで防水コンクリートの技術評価をした方が良いですよ。それに基づき改良を加えて、より良いものを作って下さい」

アドバイスをすると、草本は二~三の大手建設会社、化学会社の研究所に勤める技術者を紹介してくれた。そして、先方へも連絡を取り協力を依頼して、草本は帰宅して行った。

しばらくたってから、八郎は報告を兼ねて草本へ連絡をした。

「草本さんのお友達からアドバイスを貰いました。薬品の配合もかなり見直しました。その防水コンクリートのテスト施工をするので見に来て欲しい。本多部長にも一度見てもらいたいと思い連絡しました」

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 今日はやっと出来上がった防水コンクリートの初めての施工する日で、朝から八郎は気持が昂ぶっていた。東京出張への帰りに事務所に立ち寄った草本を、八郎は事務所横の広間に案内した。

椅子に座り、秋の暖かい日差しを浴びていた八十才で頭の禿げた老人を、八郎は草本に紹介した。この老人は曙建設の曙会長であった。椅子に座り、八郎の会社の社員が庭で作業する姿をじっと見ながら、八郎にときどき質問を投げかけていた。

八郎は曙建設から、数箇所のコンクリート防水工事の施工依頼を受けていた。何れも地下水の漏水で難儀しており、大至急、取り組んで欲しいと催促が来ていた所を、午後から見に行くことにしていた。八郎は曙会長から、成功すれば防水工事を大々的に発注すると約束を貰っていた。


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発明馬鹿 -12/16 [北陸短信]

.                                    刀根 日佐志

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今の女房は中々確りしており長く続いています。これからも草本さん、協力して下さい」

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 話を聞き草本はしんみりとした表情をしていたが、今の研究を始めた動機を知りたかったらしく、語気を強めて聞いてきた。

「防水コンクリートに取り組んだのは、どういう経緯からですか」

「警備保障会社を手放した頃、俺は友人の農家を訪ね、そこで茸研究家と出会いました。彼は椎茸のハウス栽培技術を、椎茸の栽培農家に教えていました。彼から椎茸の栽培方法について、根堀り葉掘り聞いている内に、頭にこびり付くものがありました。それは椎茸の栽培ではなく、椎茸栽培のときに、雑菌感染に苦労され、そのため栽培室の床から地下水と一緒に雑菌が上って来ないようにと、床防水コンクリート層の研究もしておりました。文献を頼りにセメントに薬品を調合する研究を、何度も繰り返したことを詳しく話されました。この話を聞き、俺は翌日から会社の開発室にこもり、薬品を買い集めると、聞き出したレシピで、防水コンクリートや防水モルタルの研究に着手したのです」

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「発明家の性みたいなもので、早く研究に取り掛かろうと逸る気持を、抑えることが出来ないのです。草本さんからも注意されていますが、開発することに興味を持ち、防水コンクリートがどの程度需要があり、商売になるかについての調査は後回しなのです。市場調査は行っておりませんが、開発が出来れば売れるものと信じております」

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 草本は防犯機器と全く異なる分野へ、軸足を移したと驚いていた様子であった。

「この事務所は元の警備保障会社のお客様だった曙建設所有の建物を、曙会長が無料で貸して下さり、会社に出資もして戴きました。その代わり曙会長の病院通いや、身の回りのお世話をやっております」

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ここまで話したところで、八郎は作業場へ行き、防水セメントを塗ったスレートの小片を数個持って事務所に戻ってきた。

「このコンクリートは早く固まり、防水力に優れています」

その小片に水を垂らして草本に見せた。

草本から成分を聞かれたので、レシピを話すと塩素系の薬品は、鉄筋の錆びが発生するので解決しておかないと問題ですよとアドバイスがあった。


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発明馬鹿 -11/16 [北陸短信]

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「県外へ出張の折には一度、此方まで足を伸ばしてください。事務所の住所が変わりました。高崎駅より歩いて十分です。駅に着いたらご連絡下さい。お迎えに参ります」

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しばらくして、草本から連絡があったので、駅まで迎えに行った。あちこちで道路舗装工事中なので、二人で歩いて帰ることにした。真夏の昼下がり、焼かれたアスファルトから陽炎が昇り、向い側の景観を激しく揺らしていた。その横を、スピードを出した車はお構いなく通り過ぎ、熱風を煽り立てて行った。〈氷〉の幟を横目に、二人は八郎の事務所に入った。

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八郎の会社は郊外の遊休住宅を事務所、庭を作業所として使用していた。事務所に帰ると彼は作業場に戻り、四、五人の者に大声で指示を出しセメントを水で溶き、捏ねる作業を続けた。辺り一面に、セメントを塗りつけた無数のベニヤ板やスレートの小片が散乱していた。

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草本は事務所の窓側から皆の作業を見ていた。八郎が作業着を脱ぎながらシャツだけになり、タオルで首筋の汗を拭い草本に近寄ると、大声で話し掛けた。

「草本さん。ずっと元気でしたか。警備保障の仕事を辞めてから、俺はこんな事やっていますよ!」

八郎はベニヤ板やスレートの小片を指差した。

「草本さん。もう一寸待ってね。もう少しで終わるから」

八郎はやり掛けの作業を仕上げることにした。しばらくして八郎が作業を終えると、腕をぐるぐる回し、腕の体操をしながら事務所に戻った。すぐさま草本が怪訝な顔をして訊ねてきた。

「警備保障会社はどうなったのですか。資金繰りに苦労されていると、うすうす感じておりましたが」

今迄の経過を、八郎は草本の顔から視線を窓外にずらすと話をした。

「強盗撃退装置の開発に、知人の商社から先方が言うままの契約条件で開発資金を借りたのです。装置は売れずに、その担保に警備保障会社と強盗撃退装置までをも渡してしまったのです。寝る間も惜しみ一生懸命やったのですが報われませんでした。今は防水コンクリートの研究に打ち込んでいますよ!」

草本から聞かれもしなかったが、侘しい気持ちになると、ついつい八郎は家庭のことも話をする気になってしまった。

「発明馬鹿というのは、家庭的にも、上手く行かないものです。今の女房は三人目で三歳になる男の子がいます。議員秘書時代、新婚の女房は選挙戦で半年間、家を空けたら家にもう居なかったのです。議員秘書を辞めた後、二人目は発明に夢中になり過ぎて会社に寝泊りして数ヶ月、給料も入れず家に戻らなかったら出て行ったのです。


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発明馬鹿 -10/16 [北陸短信]

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応接室に通された八郎は、すぐさまカタログを取り出し草本に見せた。それは前に試作していた銀行強盗撃退装置のもので、裏面には各地区の代理店が印刷してあった。富山県総代理店と草本の会社名を印刷しておいたのであった。

「八郎さん。手回しがいいですね」

「草本さん。売って下さいね」

「売る努力はしますよ」

八郎は製品一台とカタログの束を置いていった。

その後、八郎は草本から電話を受けた。

「装置を、近くの金融機関の開店に合わせて取り付ける約束をとりました。でもこの種の防犯機器は、実際に銀行強盗が入り作動して効果を挙げたことがないと、評価されないものらしく、一台だけの納品で終わりました」

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報告を聞きながら八郎は一人でブツブツと呟いた。

(艱難辛苦の物つくり、自己の発明に陶酔し時間と金を浪費すると人は言う。発明品を創っても売り出してみなければ売れるか判らない、当たる確率は一割か二割か、何と因果なものか、とかく発明は難しい)

八郎は開発に資金を投入しても回収出来ないまま、本業の警備保障会社の経営にも支障をきたしていた。取引先の商社や知人にも融資をしてもらったが、その返済も出来ぬままでいた。

ある商社からは毎日のように、借金返済を迫る電話が自宅にまで掛かって来た。

「大泉八郎さんのお宅ですか」

商社の社長からの声に聞こえたので、八郎は声色を遣い低くした声を出した。

「いーえ、違います」

良く考えると、草本からの電話であったような気もしたが、今さら大泉八郎ですと言う訳にはいかない。彼は鋭いから、借金取りに追われていると、気付いたのではないだろうか。でも、もう遅かった。

それから半年後に、八郎は草本に電話を入れた。


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発明馬鹿 -9/16 [北陸短信]

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もう、お見通しである。一ヶ月前までは連日の徹夜で、八郎は寝袋に大変お世話になっていたのであった。撃退装置を完成させるため、開発室に昼夜閉じこもり研究に没頭した。毎日、疲れ切った身体でテストを繰り返すが上手く作動しない。寝袋の中に入り目を瞑るが、改良点が浮かぶと、無意識に寝袋から飛び出し、作業台に立っていた。そして、装置の半田付けをして、半田鏝から立ち昇る青白い乾いた煙を吸っていた。何度も作動テストをするが失敗らしい。時間は無情にも過ぎ、もう夜は白々と明けていた。六ヶ月もこの繰り返しをして何とか装置が仕上がったのであった。

「かなり色々な開発に費用を掛けておられる様子ですね。その一方で、販売しても売れていないのでしょう」

過去に開発した製品が、開発室に山と積まれてあったのを、草本がじっと見ていた。草本は八郎の開発努力を評価するよりも、無駄になった開発を追及してきた。八郎はその通りに違いないが、うるさいことを言う奴だと、腹が立ってきた。ひとこと言うことにした。

「売れるかどうかは、作ってみないと分かりませんよ」

「市場調査で裏づけのないものは、作るべきではありません」

 草本はいとも簡単に言い放つと、耳の痛いことを付け加えた。

「こんなことをしていると、開発費の捻出に困窮する時期が必ず来ます。あるいは現在、もうかなり厳しいのかもしれませんが」

 気に食わないことをずばずば言われたが、余りにも、的を射ていたので、八郎は二の句が継げなかった。実は草本にもいずれは開発費の用立てを打診しようと思っていたが、言い辛くなった。この日は、草本は情報交換をして八郎と別れていった。

 翌日、思いがけなく長官から電話を受けた。

「先日、電話を頂きましたが、視察に出かけていて留守でした。発明の相談相手は本多部長でよろしかったですか」

 八郎は長官の声が聞けたことが嬉しくて、この日一日、明るい気持ちであった。

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半年位経ったある日、八郎は草本に電話を入れた。

「急ですが明日、富山に行きたいと思いますが」

電話の向こうでは、予定をやり繰りしている様子で、時間が掛かっていたが、八郎は了解の返事を貰った。

その日の夕方、車で群馬を出て、富山には早朝に着いた。草本の経営する会社の駐車場に車を止めて、八郎は社員と三人で、草本の出社を待ったが間もなく姿を現した。


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発明馬鹿 -8/16 [北陸短信]

                                                                            .刀根 日佐志

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「目新しい装置ですが充分にユーザーの意見を聞いてみたのですか」

草本から痛い所をちくりと刺す意見が出た。八郎は発明家の盲点をつかれた気持ちになった。俺は創るのが好きなのだ。俺が創るものは売れると、一途に思い込む気持ちが独りでに出来てしまっている。何の根拠もないが。

「えー」

八郎は曖昧な言葉を言っただけで話を続けた。

「ユーザーの反応は如何でしたか」

再度、草本は聞いてきたので、八郎は煩い奴だと思った。八郎はこの商品に賭ける意気込みが強かったので、少しでも疑義を挿む意見はやかましいと思うようになってきた。

「そうね」

八郎は曖昧な返事を返すと、構わずに銀行強盗の撃退装置の説明を続けた。

友人からもよく言われる。

「お前の話し方は、大きな袋に詰められた水が、底に開けられた小さな穴から、細い水の束となり絶え間なく流れ出るように、話には淀みがない。言葉に無駄がなく、説得力と引き付ける魅力がある。だが人の話や忠告を謙虚に聞き、それを生かす姿勢がない。また、お前には物創りに懸けた、只ならぬ執念があり、物創りを始めると、眼光が鋭くなり眉間の皺が一段と深くなってくる位に奮闘している。しかし、その物を売ることにも努力して欲しい」

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 従って、草本からも、同じ見方をされているのかも知れないと考えていたら、草本が痛いところを更に突いてきた。

「一生懸命に研究開発されていることは認めますが、市場調査を余りしていないように感じられます。売れないものを作っては無駄が大きいですよ」

八郎は独り善がりに陥っている独善の扉を、こじ開けられた思いであった。

開発室の作業台には、ランプが点滅している試験中の装置や、半田付け中の装置が散乱して、その脇に薄汚れた寝袋が無造作に置いてある。草本の目は開発室をぐるりと見渡していた。

八郎からすれば憎く聞こえる言葉を草本は平気で喋った。

「徹夜もよいのですが、売れるものを作ってください」

「売れるものね!」


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発明馬鹿 -7/16 [北陸短信]

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駅の降車口を出るところで、草本を見かけた八郎は、にこやかに笑顔で手を振ると駆け寄った。草本も端正な顔に笑みを浮かべると、会釈して近寄って来た。

きっと草本が研究所で会った八郎と大違いで、違う人物ではないかと思うくらいに、めっぽう愛想がよいと思っているに違いない。いまの八郎が本物の大泉八郎ですと言わんばかりに、駆け寄り努めて笑顔をつくり握手を求めると、愛想よく草本は手を出して握手に応じてきた。

八郎は「お持ちしましょう」と草本の提げ鞄を持って会社まで案内した。

八郎の警備保障会社へ着くと、改めて「お待ちしておりましたよ」と述べ、八郎は草本を事務所の応接コーナーに案内した。

「装置が色々並んでいますね」

草本が、事務所内に防犯機器が並んでいるのをみて尋ねてきた。本業である警備保障の話はそこそこにして、八郎は得意そうな気持になると、色々な発明の話を始めた。発明の話になると目が輝き、熱っぽくなるのが自分でも分かったが、止めることが出来なかった。

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今日、再会した草本に八郎は、数年来の知己のような気持ちを覚えた。立ち上がると事務所の隣にある開発室に草本を案内し、現在開発中の銀行強盗の撃退装置を動かして見せた。

「窓口の銀行員はこの装置の箱に札束を入れ、強盗が来た時は、この札束を渡すとスイッチが作動し銀行の外側に取り付けた電光掲示板に(現在、店内に事件発生中、一一〇番して下さい)が流されます。これを見た外の通行人が、通報をしてくれるのです」

八郎は説明に力が入ると、額から汗が出てジェスチャーが大きくなり益々能弁になる。そうなると、相手の気持ちはどうでも良い、自分の話を一方的に喋りまくった。

「銀行内では皆が動顛しているので外の通行人の力を借りるのは、今までにない考え方ですね」

と言いながら草本が八郎の顔を覗き込んできた。

八郎はこの人はなかなか壷を突く、良く分かっている方だと思ったので、草本の目を見詰めて話を続けた。


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発明馬鹿 -6/16 [北陸短信]

                                                                               刀根 日佐志

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いま、八郎が彼等の面前で、無言の内に食事を始めたことは「何と無礼千万な!」と彼等はきっと思っているに違いない。しかし、町の発明家独特の挨拶手法と見てくれれば、不快感を忘れ、親近感すら覚えてくれるだろう。そうであれば、八郎の思い通りである。ときどき、彼等の表情を窺ってみたが、二人とも真剣な顔つきで八郎を注視していた。芝居小屋で芝居や、映画館で食事のシーンを観ているのとは違った臨場感に酔った視線を感じ取ったので、初期の目的は達し得たと八郎は満足した。

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次に八郎は、カバンから一本の警棒を取りだした。警棒の細い筒に警報機、小型カメラ、無線機、犯人への目潰し用の粉末と発炎筒が内蔵されており、多機能な使い方ができると説明し、最後に、用件を切り出した。

「私は多くの発明品を持っております。それらの発明の相談に乗っていただき、また販売をして欲しいのですが」

「先日も聞いていましたので、草本さんがご依頼の適任者と思います」

部長は、草本の方に顔を向け、目はお願いしますと呼びかけていた。草本は分かりましたと言わんばかりに頷いていた。そして、来春には八郎の会社を訪問することを約束して、研究所を後にして行った。

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八郎は長官に本多部長を紹介してもらったお礼の電話を入れた。長官のソフトで愛らしい声を聞くのが目的でもあった。幾つになっても、こんな気持ちは変わらないものだと、八郎は苦笑していた。あいにく不在で、秘書に用件を伝えておいた。

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暖かい季節が訪れると、草本から約束通り、八郎の会社にお伺いしますと、連絡があった。八郎は会社の近くにある森を通り、JRの高崎駅まで歩いて草本を迎えに行った。日頃、仕事や発明に追われていると季節の変化を見逃していたが、森に繁茂した小楢や赤松に混じって楓が一段と緑を濃くして、桜の木はもう花弁を散らしていたのに気が付いた。その純白の花弁は、すでに色あせて風に吹かれるまま、森の遊歩道の片隅に追い遣られていた。木に咲くときは、皆の賛美を集めていた花も、散るとそれに目を留めるものはいない。

木漏れ日がまだら模様に射し込み、木陰の部分も濃い緑色と目に映る錯覚を覚えながら、八郎は森の香りを存分に吸い込み歩いた。その遊歩道を抜けたところに高崎駅があった。


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発明馬鹿 -5/16 [北陸短信]

                                刀根 日佐志

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「失礼します」と述べて八郎は、金平ゴボウに手を伸ばし口に運んだ。噛むとコリコリと音が出た。今度はご飯を箸で摘み口へ入れた。

ご飯を食べる場合に、茶碗を手に取り、箸を持った方の手で、掬って食べるのが常であるが、絵に描いた茶碗は手に取ることが出来ない。八郎はそれを奇妙に感じさせないためにも努めて動作が流れるように見せねばならなかった。また、ご飯を食べるときは、左手親指と人差し指を、絵の茶碗の丸みにそわせて、あたかも茶碗を持っているかの動作をし、何の違和感もない食事情景に見せかけるようにした。本多と草本の二人は目を丸くして驚き、呆れ返っているのが分かった。

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目の前で何を仕出かすのかと見ているうちに風変わりな食事を始めた。これには、彼等は驚いたに違いない。この二人が、一瞬でもここは料亭の一室ではないかと錯覚をしてくれれば大成功したことになる。八郎は二人の表情を注意深く窺ってみた。しかし辺りには書類や書籍、実験に使われる小道具が置かれている本多の部長室では、興醒めして期待は出来そうもない。

今度は、八郎は本多の身になって考えてみた。本多の上司がこの研究室に入りこの光景を見たときに、どう思うだろうかと……。本多は恐らく心中穏やかならぬものがあるに違いないと推察した。 

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午前中の早い時間に、得体の知れない男が、よくよく見ると絵に描いた食器から、おかずやご飯をとり真顔で淡々と食べている。それを本多部長と草本が、神妙な顔で見ている。何と奇妙な三人であろうかと、本多の上司は思うに違いない。などと考えると、本多は目の先にあるドアが気になりノックがあったらどうしようかと、はらはらしているのではなかろうかと八郎は考えた。

八郎は食事をしながら本多の顔を正面から、チラチラ見たが、憂色が漂う表情でもない。彼の性格は良く分からないが、繊細な神経の持ち主でないのかもしれないと思った。

八郎はそんなことはお構いなく、黙々と食べ続けた。食べ終わると両手を合わせて「ご馳走さま」と小声で呟き、食器類が描かれていた〈食器シート〉をくるくると巻き畳み、最後に捻って横のゴミ箱に捨てた。テーブルの上には何も残されていなかった。


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発明馬鹿 -4/16 [北陸短信]

                                刀根 日佐志

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 部長はこの次に、最先端の研究について見学をすることを勧めた。この日、三人は別れて再度、集うことにした。

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決めていた日に、八郎は研究所に出向いた。十二月も半ばとなると冷え込んでいる。厚めのコートを着込んで行ったが、それでも襟元から冷気が肌へ忍び込む。その冷気は防寒衣の弱点に狙いを絞ると、辛辣なまでに集中攻撃を仕掛けてくる。襟を立てるが余り効果がない。向かいを通りかかった人は、コートを着て、さらに厚手のマフラーを首に巻きつけ手袋をつけていた。

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研究所の広場と通路に連なっている落葉樹は、葉が落ちて全ての枝や小枝が、剥き出しになっている。その褐色の小枝の集団は針の様な先端を天に向け、何かを大声で吼えているように見える。そんなことに、天空はまるで無頓着で、ひたすら鉛色の曇天を曝け出し、薄暗い雰囲気を作り続けていた。

八郎は研究所に入ると、光の差し込まない寒々とした長い廊下の中程にある部長室に向かった。そこには、応接コーナーでソファーに座る本多と草本の姿があった。八郎は、勧められるまま本多の向かい側の席に座った。本多の横には草本がいた。

本多が研究所の見学を勧めたが八郎は、見学には関心がなかったので断った。ろくに挨拶もせずに八郎は、カバンから弁当箱とランチョン・マット大の薄いビニールシートを取り出した。本多と草本の二人は不思議そうに、八郎の顔を覗いていたが、構わずに振る舞いを続けた。

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「このビニールシートは、私の特許申請中の〈食器シート〉というものです」

八郎は小声で言うとテーブルにその薄いビニールシート製の〈食器シート〉を広げた。さらに、天婦羅、金平ゴボウと、ご飯が綺麗に詰め込まれている弁当箱の蓋を開けた。テーブル上に開いた〈食器シート〉全体には、大きな赤い漆塗りの懐石盆が印刷されてあり、その中に九谷焼の四角いお皿が二枚、さらに、ご飯茶碗が綺麗に印刷されてある。描かれていた朱塗りの懐石盆や食器類の色づかいは豪華であった

八郎は箸を持つと、〈食器シート〉上に印刷されたご飯茶碗の上に、弁当箱からご飯を取り出し、こんもりと盛った。今度は、印刷された四角い二枚のお皿の上に、天婦羅と金平牛蒡を夫々置いた。そして、小袋を破き天婦羅には塩をまぶした。

悪ふざけをしているのではないかという二人の視線を感じたが、構わずに正気を装った。盆と食器は綺麗に描かれてあったので、特に、部長の座っている位置から見たご飯茶碗などは、ご飯が盛られている豪華な九谷焼に見えるものと自信を持っていた。


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発明馬鹿 -3/16 [北陸短信]

                            刀根 日佐志

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八郎は部長の彫りの深い顔を覗くようにして見たが、自分と同年代の五十近いと思われる彼の頭はもう白髪が目立ち始めていた。しかし、それが却って研究者らしく見せているのかと思った。草本は部長と正反対に黒髪がふさふさしており、一段と若く見え二人が同期には見えなかった。

「午後に遠藤裕子技術庁長官が来所され、所長が海外出張中なので、私が研究所内を案内しました。大泉八郎さんは、長官になられる前に、秘書をされていたそうですね」

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部長は笑みを浮かべ、草本と八郎の顔を見ながら話をした。

「それは大役だったね。あの有名な元ニュースキャスターの美人長官ですか」

 静かな口調で話しながら、草本は顎の辺りを撫でながら微笑んでいた。

「そうなんだよ! 長官は深紅のスカートに紫色のコートを着こなし、白い肌と京人形のような美しい目鼻立ちを引き立たせ理性的に見せていたよ」

部長は大役を終えた安堵の気持もあったのか、饒舌に話を続けた。

「それは、良いことをしたな」

「さっき長官から話を聞きましたが、実家が温泉旅館で、今でも実家に帰ると厨房に入り手伝いをするらしい。糠漬けだって上手ですよと話していたよ。なかなかの庶民派ですね。大泉さんは良くご存知なのでしょうけど」

 部長は同意を得るかのように、八郎に視線を向けた。八郎は否定も肯定もせずに、黙ってその話を聞いていた。

「あの美人長官が、沢庵を刻んでいる姿を一度見たいものだ」

 草本は顔をほころばせ軽口をたたくと、八郎の表情を窺うようにした。八郎は二人の話の聞き役に回り、無口な性格を装った。

「ところで、君は長官に何の説明をしたのかね」

「長官に研究所の概況と現在研究中の狭い飛行場でも、離着陸可能な航空機の研究について話をしたよ」

 八郎が聞いていると、さすがに同級生だけあって、会話の中に入り込めない位、彼等の間には距離がなかった。

「大泉さん。もう五時を過ぎましたので、各研究室は閉めております。見学されるのでしたら日を改めた方がよろしいかと思います。発明のアドバイスを求めるのでしたら、草本さんが適任です。今日は三人の顔合わせだけになりましたが、次回は時間をとり、お打合せをしましょう」


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